2017/04/20

対峙という言葉を調べてみると

山などが、向かい合ってそびえること。「谷を隔てて―する岩峰」

対立する者どうしが、にらみ合ったままじっと動かずにいること。「橋を挟んで両軍が―する」

など出てくる。

どうもこの対峙という言葉は争いの言葉のように感じるが
私は最初の方の意味に焦点を当てて題名にした

峙;そばだつ、まっすぐ立つ
対峙;山などが、向かい合ってそびえること

対峙II

私の中には
上下関係というものが存在しない。
どんなに小さな子供でも学生でも
将来自分より優れた人物になるかも知れない
だから、かならずその意見には耳を傾ける
そこから得られるものは
なんの意味の無いだろう稚拙な物から
自分自身に役に立つ物までさまざまだろうが
そう判断する事自体が、
すでに自分のフィルターに掛けている事だから。

中国の笙は私が演奏する日本の笙と
全く違う価値観や表現力を持っている。

自分の感覚で見てしまうと
自分の方が凄いのだが

相手の事を認め
自分の事も認めてもらって
一緒に作業をしていると

絶対に相容れないはずの物も

以外とシックリと

いやむしろより理解できるという事が多々ある。

WuWeiとの共同作業はいつもこんな事の繰り返しで楽しい。
常識とか、あたりまえは
個人の経験の中で培われてくる物で
そこにとどまるだけで満足するか
違う世界を覗いてみるか

これこそが私の対峙である。

互いに尊重しながら
決して何かを妥協することなく

ふたつの山がそびえ立っている

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