2023/11/13

どんな作曲家であっても
自分の頭の中になっている音楽を
演奏家に伝え
思い通りに演奏してもらうという事は
簡単な事ではない

たぶん

それほど壮大な音楽が作曲家の頭の中には鳴り響いている

音符には書き切れないほどの

 

雅楽を始めた頃から、 どんなに素晴らしい雅楽の演奏家でも巨匠でも
何故か五線譜を演奏すると五線譜の演奏になってしまうのが 疑問だった。
作曲家としてはこう書いているのに、ともどかしい気持ちで見ていたが、
あまりに偉い人たちの前では口を噤むしか無かった。

 

作曲家って大変で、演奏家をひとつづつ説得していかないといけない。
楽譜を書いただけでは終わらないんだけど。
それを読める演奏家によって楽譜は音楽になっていく。

 

楽譜を読むという作業は
楽譜を書く作業をしてきた
私にとって 逆の作業をするだけなんだけも
演奏する人にとっては
全く異次元の
異次元の
行為
なんだろうなぁ

 

常識とか
先入観を
覆す事って
本当に大変なんだけど
そうしないと新しい世界って
見えてこないんだ

伝統と革新〜古典を紐解き、未来の伝統を創造する〜

 

ということで 武満徹《秋庭歌》の楽譜の研究1

一番上は秋庭歌の出だしの部分。
Aの部分、A-1は雅楽の演奏家にとって馴染みのある音型である。
3段目A-2は越殿楽に出てくる旋律。
笛の演奏家にとってはまわす?という奏法。

BはB-1のように書き換えてみる。
するとこれも馴染みのある旋律になる。
ただしAはリズムが違く着地点も違う。
Bは表拍と裏拍で違う。
さらにこれは篳篥の典型的奏法の塩梅の音型だ。
楽譜の通り音符を吹くことはそれほど難しくない。
しかし、楽譜を読み込み何を意図して書いたか。
これらを楽譜の隅々まで読み込み精査し、
解釈することがこの秋庭歌には必要だと思う。

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