雅楽の伝統的奏法で「退吹(おめりぶき)」という奏法がある。
《調子》や《乱声》など拍節を持たない曲において、同じ旋律を最初の奏者から少しずつ遅らせてずらして演奏する奏法をいう。
また「序吹」においては古来は退吹で奏されたとされるが現在は斉奏されている。
(拍節のある《乱序》などでずらして演奏する奏法は「追吹(おいふき)」という。)
私はこれらを初めて聞いた時はかなり衝撃的であった。
ただし、3管以上での退吹はカオスとなってしまって、それぞれの旋律を聴き取ることは難しい。
ある意味「偶然性の音楽」とも言える。
この偶然を必然とし、コントロールして聞かせたいというのが、作曲家である私が考え続けてきたことである。
1998年より退吹を取り入れた笙や雅楽の演奏会の企画をプロデュース・演奏してきた。
《調子》による退吹
- 1998年プラネタリウムと笙;笙3管による《盤渉調調子》全曲演奏
- 靖国神社・伊勢神宮等;笙2管による《盤渉調調子》全曲演奏
- 2003年真鍋尚之笙リサイタル;笙3管による《平調調子》全曲演奏
- 2013年ドイツ公演;笙2管による《盤渉調調子》全曲演奏
- 2014年ギリシャ・スペイン・ドイツ公演;笙2管による《盤渉調調子》全曲演奏
- 2017年雅楽ヨーロッパ公演;笙2管による《黄鐘調調子》全曲演奏
- 2018年〜豊剛秋氏とのSho2による《壹越調調子》《平調調子》《黄鐘調調子》《盤渉調調子》《太食調調子》全曲演奏
《胡飲酒》序による退吹
- 1999年久良岐能舞台・秋の空に雅楽の調べ;篳篥2管と笙・笛による《胡飲酒》の序の退吹。
- 2013年ドイツ公演;笙2管と篳篥・笛による《胡飲酒》の序の退吹
- 2014年ギリシャ・スペイン・ドイツ公演;篳篥2管・笛2管・笙による二群に分かれた《胡飲酒》の序の退吹。
- 2017年雅楽ヨーロッパ公演;笙2管・篳篥2管・笛2管・による二群による《胡飲酒》の序の退吹。
- 2020年雅楽カリフォルニア公演;笙2管・篳篥2管・笛2管・による二群による《胡飲酒》
- 2021年Hideaki BUNNO GAGAKU Ensemble金沢公演;笙3管・篳篥2管・笛2管・による二群による《胡飲酒》
退吹の試み
《調子》による退吹
笙の退吹は下記の譜面のように最初の奏者がひとフレーズを吹いた後、次の奏者が同じフレーズを吹き始め、またその奏者がひとフレーズを吹いた後に次の奏者が入るという風に演奏される。
調子はいくつかの「句」からなっており、その句の終わりには「三気延替二気早替(3回ゆっくりと息を替え、2回早く替える)」という奏法が用いられている。下記譜面参照。
笙の楽器の特性上、和音を多く奏し、倍音も非常に多くそれぞれの旋律が埋もれてしまう。演奏している奏者も前を吹いている奏者の音を聞き分けて追いかけていくというのはほとんど不可能に近い。
また次から次へといろいろな旋律が出てくるのでお互いにどこを演奏しているのか把握することはほとんど不可能である。
3管による演奏
1998年プラネタリウムと笙;笙3管による《盤渉調調子》全曲演奏および2003年真鍋尚之笙リサイタル;笙3管による《平調調子》全曲演奏では笙3管による演奏を行った。
これらの問題をどの様にして解決し、整理し、「楽曲」として完成したものとして聞かせるかが私にとって課題であった。
この時に行った試みは途中は3管がほぼ同じ感覚で追いかけていくが、句の終わりで、先頭の奏者は最後の奏者が「三気延替」に入るまで待ち、それを聞いてから次の句を始めるという事を行った。
それにより、笙3管の混沌としたカオスの世界から、一瞬3人の音が1つに揃い時間が止まったような、浄化されたような効果を生む事ができた。そしてまたカオスの世界へ入っていくのである。
これらを繰り返しながら、ソロやユニゾンなど《調子》の中の聞かせどころの旋律に上手く光を当てながら構成したのがこれらの演奏会である。
2管による演奏
2管による演奏は長年にわたり研究・演奏を重ねてきた。
特にここ数年は豊剛秋氏とのSho2により毎月研究を進めている。
特に2管での演奏はそれぞれの旋律を聴き取りやすく、退吹の効果を最も生むため数多く行ってきた。
その集大成とも言える演奏が2018年の真鍋尚之笙リサイタルVol.8での《黄鐘調調子》の演奏である。
ここでは完全に1つずつの旋律を交互にずらして演奏、また掛け合いなども行っている。
《胡飲酒》序による退吹
篳篥の《調子》における退吹もまた魅力的である。これもやはり3声以上に分かれてずらして演奏するため、カオスの世界になってしまう。しかし、笙などに比べまだ同じ旋律をずらして演奏しているのが聞き取れるかも知れない。笛の《乱声》における退吹も同様である。
私が着目したのは「序吹」である。この「序吹」は拍節を持たないフリーリズムの曲である。古来は退吹で奏されたとされるが現在は斉奏されている。
《序》もいくつかの「句」からなっており、その句の終わり少しためて次の音に移るというような奏法が用いられている。退吹の奏法の場合、ずれて演奏していたのが、ここで1つになる。そしてまた次の句から退吹となっていく。
これらの退吹も3声以上で演奏されるためずらして演奏しているというより、混沌としたカオスの感覚が強いように聞こえる。そして句の終わりになった時にばらばらに演奏していたそれぞれの楽器が1つに合わさるのである。
これらの演奏方法は戦前頃までは行われていたらしい。しかし近年は退吹は行わず、同時に演奏されてきた。
私はこの序における退吹に注目し、これを何とか復活できないかと常々考えていた。
まず最初に小編成ながら、1999年久良岐能舞台・秋の空に雅楽の調べ;篳篥2管と笙・笛による《胡飲酒》の序の篳篥2管で退吹での上演を行った。
また2013年ドイツ公演;笙2管と篳篥・笛による《胡飲酒》の序の退吹。これは笙2管のみ退吹
そして篳篥・笛がそれぞれ二群に分かれ(この時は笙が1人)、2つの群それぞれ別の演奏をし、その2つが退吹をすると言う形式をここで生み出した。
2014年ギリシャ・スペイン・ドイツ公演;篳篥2管・笛2管・笙による二群に分かれた《胡飲酒》の序の退吹。
そして笙・篳篥・笛を完全に二群に分けた退吹を2017年雅楽ヨーロッパ公演にて実現させた。笙2管・篳篥2管・笛2管・による二群による《胡飲酒》の序の退吹。
これらの発想は現代の作曲家がオーケストラで行ってきた二群のオーケストラや三群のなどの作品からヒントを得ている。
それぞれの「群」が別々の演奏を行いながら、句の終わりで1つになる演奏形態は聞いていても演奏していても圧巻である。
そして、この私の「二群の退吹」のアイデアはさらに打物を加え、舞も加えるという形に進化を遂げる。
2019/05/28
《五常楽 序》退吹から退舞へ
序吹の退吹に一人舞を合わせたのが胡飲酒だが、さらにそれに複数の舞人が舞い。左右の群の退吹に合わせて舞もずらして退舞(おめりまい)にしたらという試みを行った。
聴覚で聞き取る効果をさらに視覚的にも体感できるようにしたものである。
これを実現するためには少し工夫が必要であった
胡飲酒の退吹では先行する群のすぐ後を追って演奏すればよかったが、
退舞の場合にはそれでは近付きすぎるため、篳篥のふた文字程度聞いてから次の群が演奏する必要があった。これにより舞もある程度ズレている事が視覚的に確認できるのである。しかし太鼓の前では一緒になるために先行する篳篥がかなり長く音を延ばして待つ必要があった。それを解消するために太鼓に近づくにつれて両群の距離をやや縮めていくという方法を取った。舞も一定の距離を保ちつつ、太鼓に近づくにつれて距離を縮め、太鼓で四人が揃う。
追吹(おいぶき)ー加吹(くわえぶき)
無拍節の旋律をずらして演奏するのが退吹に対し、
拍節のある旋律をずらして演奏するのが「追吹(おいぶき)」です。
今回新たに考案したのが《春庭楽》における「追吹(おいぶき)」
拍節のある笛の《乱序》などでずらして演奏する方法ですが、これを今回は管絃の曲に取り入れました。後半よりこの追吹に変わることから「加吹(くわえぶき)」という名称を作りました。
管絃吹による3群に分かれた追吹
さらに舞楽吹による2群に分かれた追吹の演奏も行いました
2024/02/26追記