2017/04/18

春菊をベーコンと炒めて

菜の花は

茹でて辛子とマヨネーズと麺つゆで絡めて

 

 

春菊なんて

鍋に入れる以外の食べ方を知らなかった

 

菜の花なんて
食べた事もなかった
気がする

私は伝統音楽を演奏し
新しい音楽を創作する
という一見相反する事を
行なっているように見えるが

伝統を守るという事は
今あるもの以外に目を向けないと言う事ではなく

創作するという事は
過去に向き合う事でもある

自分の知らない事を知ると言う事は
自分を成長させる事

 

私の雅楽の師は
お稽古で
常に違う事を言う

先週言ったことと
今週言ったことが違う

それは先週よりも
今週、
新たに発見して
進歩しようとしているからだ。

これほどの素晴らしい演奏家になっても
常に耳を開き
周りを観察し
どういう音楽を作るのか
模索している。

考えるという事は大切な事だと思う。

大学時代の私の一応の担当教官は
常に
「〇〇先生はこう言った」
とレッスンで言っていた。

確かに〇〇先生は偉大な方だろう。
でもレッスンは
先生から何かを得る場であり
その人が誰かから聞き及んだ話しには興味ない。

その人はよっぽどその「先生」に依存していたのか
自分がないのか
或いは謙虚なのか
伝統というものはコピーを生産するものと思っていたのか。

私は学費を払って習っている以上
先生としての責任を果たして欲しかったが
私にとっては担当教官であったが
何も習ってという意識はない。

ただ自立できない音楽をやっている人にしか思えなかった。
もちろん先生として丁重にレッスンを受けていたが

最後まで自分の考えは言わずに
聞き及んだその先生の言葉を言うだけだった

もしそれで音楽が伝承できるのならば
古文書の體源抄など読んでいれば先生など必要ない。

 

私の尊敬する師たちは
どんなに偉くなっても
自分の過去にあぐらをかくことなく
真摯にいろいろなものを
取り込もうとしている。

ストレスにしかならない本番は
自分の音楽以外認めない人との演奏だ
そんな演奏をしていると
精神的におかしくなるだけでなく
演奏もおかしくなる

そこから解き放たれ
気分もだいぶ楽になった。

いろいろな考えの人がいて
違う考えを持った人からこそ
自分の考えを具体化できるという事もある

また明日
新しい発見をどこかでするのが楽しみだ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください