2008/03/14
姿を現した瞬間から存在感があった

音が鳴る前から圧倒的な存在感であった

大人数の中でも存在感は際だっていた

そんな存在感とはいったい何であろうか?

いやいや・・・

実はこれ・・・

私が頂いたありがたい言葉なのだが。。。
まぁそんな自画自賛は置いておいて・・・。。。
演奏会に行って思うことがある

気が付いたら演奏が始まっていたのだ。

いつの間にか出てきて
拍手をして
静かになって・・・

始まっていた。

そうでないこともある。

始まる前から何かドキドキして

照明が落ち

ふっ!・・・と息をのんだ瞬間
演奏家が現れる。

拍手が鳴りやみ
緊張感が頂点に達した時に
音楽が生まれる

私は基本的には
超能力やら非科学的なエネルギーやら
信じない方だ。

ここ数日取り憑かれている
ポリーニのプラームス:ピアノ協奏曲第1番で
そんなふっ!と息をのむ瞬間がいくつかある。

もうこの演奏何十回聴いただろうか・・・。

必ずエアポケットに入ったように息をのむ瞬間があるのだ。

もういいかげん何十回も聴いて予測できるのだから
そんな罠にはまるはずもないのだが・・・
安部公房の小説で
(何という題名だったか)

どんな文章だかはっきりした記憶がないが
何かむなしくなった時

例えば肺は外界の空気より
高い圧力で保たれているから潰れることがない
人の肌も空気の圧力につぶされないよう保たれている

しかし、それらがむなしさを感じたとたん
真空になり・・・様々なものを吸い込んでしまう・・・

・・・

う~なんて小説だったか・・・

そんなものを思い出した。

これは第一楽章の初めてピアノが出てくるところだが
第二楽章でも同じような感覚がある。

これは紛れもなく 
冒頭から延々と奏するオーケストラの
エネルギーをポリーニが吸い込み
吐き出す瞬間のエネルギーなのだ

・・・
なんだ超能力とか信じないとか言ってるくせに
・・・
たぶんこのピアノの出だしは楽譜にはmpかpと書いてあるだろう。
何十人ものオーケストラの音をさしおいて
自分のピアノに意識を集中させるためには
どれだけのエネルギーが必要なのだろうか?

きっと私はそのポリーニの吸い込んだ
エネルギーをその瞬間に感じているのだと思う。

オーケストラではちょっと人数が多すぎてしまうが
10人くらいの合奏やら少人数のアンサンブルの時に
ある特定の人へ目が(耳が)行ってしまうことがよくある。

そういう人は必ず他と何か違った
存在感のある音を出しているのである。
訴えかけてくるものがあるのだ。

それは音が大きいとか何かのものではない。

意志があり
何かを伝えようとしている音は
他にどんな音が鳴っていようと聞こえてくるのだ。

そこそこ音楽的知識がある人は
すぐに「バランス」という言葉を持ち出す。
この「バランス」は音量のバランスでしかない。
私がもっと出せ
と言う時は
この「バランス」ではなく
・・・

言葉では言い表せない・・・。
pと書いてあればあるほど
テンションを高めないと
伝えるものが伝わらない。

そんなことのわからない人は
すぐに「バランス」という言葉を用い
音を小さくすると共に
テンションも下がる。

オーディオの音量つまみじゃないんだから・・・
このポリーニの演奏も
どれだけのエネルギーで
弾きだしたのだろうか?
私はいつも演奏する時に
心がけていることがある。

最初の一音を出す前に
会場の全ての空気を吸い込むこと。

客席の一番後ろのドアのところの
空気まで吸い込み
一番離れたお客さんにも
最初の一音に集中させる
音楽とは音が出た時が始まりではないと思う。

どのようにしてその一音を出すか

それによって
その演奏家の演奏がかわるのだと思う。
それがどれだけ
届いているのかは
わからない

しかし、そんな
目に見えないものこそ
芸術というものの
大切な部分だと思う。

私が演奏した中で
そのようなものを
感じてもらえたというのは
本当に嬉しい
・・・
あれ?
ポリーニの話じゃなかったのか・・・

・・・

!??
Gute Nacht!

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