2009/02/25

まったくもって
それぞれが
違う方向を見て
それぞれ勝手に
喋っているように見えて

それが実は
しっかりと
同じところに向かって
進んでいるという
不思議な現象に
出くわす事がよくある。

様々な文化を取り入れ
自分たちのものとして
昇華していった
日本の文化としては
むしろ当然の事なのかも知れない。

雅楽の中にも
こんな不思議な現象は
存在している。

当然生きた音楽というのは
メトロノームのように
きっかりと拍の長さが
均一である事は
むしろ珍しいものである。

洋の東西を問わず
特に古い時代!??の
音楽になればなるほど
自由に自然な流れで
伸び縮みしているように
思えなくもない。

雅楽においては
同じ4拍をひとつの拍節と取る
(つまり西洋音楽で言う4拍子)
場合でも単純に4拍目が伸びるとかではなく

ある楽器は
1拍目が長く
ある楽器は
2拍目から3拍目に入る時少し重みを感じ
4拍目をどこで感じるかは永遠に答えは出ないだろう・・・。

ある楽器はそのままのテンポで4拍目を感じ
ある楽器は4拍目自体が"う~ん"とか言って
"う"なのか"ん"なのか分からない状態だし・・・!??

細かい動きのまま次の拍節へなだれ込むしかない旋律と
"タ~~"とか言ってやったらと伸ばしたい旋律が
同時に存在したり。

それをどっちかがどっちかに気を遣って
妥協してどちらかに合わせていたんだったら
何のおもしろみもないのである。

まぁこんなのを一番手っ取り早い簡単な
俗っぽい表現をすればそれは
"間"
なのだろうが
そんな簡単な言葉を発して
わかったような顔をしてはならない。

雅楽には序吹きというものがあるが
これはそれぞれの楽器が
それぞれ一定間隔の拍節を持たずに
フリーリズムで演奏するものを言う。
楽器によってひとつの
フレーズの長さや節回し
音の数などは
一致しないので合わせるのは困難なのだが
それぞれ全く別に進んでいるように見えて
合う時になるとピシッと揃うのである。
音取などもこの種のものであろうか。
これをどこかでつじつま合わせて
上手くやろうなんて考えるのが
大失敗の元なのである。

そんなのを
いろいろやってみていると
ほんのちょっとだけ気がつく事がある。
拍節のあるものであっても
縦の線は
横の線がもっとも良い形でできた時に
たまたま揃うものであっるのではないか?

縦の線だけ揃えて
よくあった演奏をしていると
勘違いしている人を時々見かけるが
私にはそれはただ理屈が通っているだけで
何も生き生きした面白さが見えないものでもある。

そんな理不尽な
合うはずのない
縦のラインこそ
しっかり合わさないといけないのが
理不尽が理不尽たる所以である。

まぁそこで
オレはこうなんだから
お前がこうしろ
と言わないところも
また
日本人の良いところなのである。

それぞれが
それぞれの良さを理解した上で
良いところを良いままに残し
理不尽は理不尽のまま・・・
その理不尽がある時、間となり闇となり・・・!????
(意味不明)

ともかく
それぞれが主張し
相手を認め
それで歪んでしまうところも
ひとつの大きな流れの中に
全て飲み込んでしまう
フトコロの大きさとでも言おうか?

それはまた
他の楽器の感じ方を知る事からも得る事ができる。
自分はこう感じていたものを
全く自分とは違う感じ方をしていた
(私が間違っていただけかも知れないが・・・)
その立場になってやってみると
全然違う景色が見えてきたりする。

いやはや
なかなかおもしろいものである

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