2009/05/11
どうも朝方、テレビをつけていると
コマーシャルでこんなことばが聞こえてくる。

「苦手教科を克服して」
「ベースアップして」
「ワンランク上の学校」
得意科目だけ一科目では入れる学校があればいいのに

平均点
偏差値

どんな得意な事があっても
苦手な事によってそれが打ち消されてしまうシステム

つまり100点満点の世の中で
得意科目が100点であろうと
他の科目が50点だと
全体のランクは下がってしまう。

100点は100点以上
上には行かないのだから
全体をあげるためには
得意科目やってもしょうがないから
苦手科目をやりなさい・・・って。

9科目が100点でも
1科目が30点だったために
すべてが壊れてしまう事もある。
そんな時にこんな記事を見つけた

性悪説
人間は生来怠け者でできるだけ仕事をしたくないと思っている。
従って大抵の人間は統制や命令、あるいは処罰で脅されなければ企業目標の達成に十分な力を出さない。
また、普通の人間は命令されるほうが好きで、責任を回避したがり、安全を望むという考えである。
 
性善説
人間は生来仕事が嫌いということはなく、条件次第で仕事は満足感の源にも懲罰にもなる。
従って統制や命令、処罰だけが企業目標の達成に力を発揮する手段ではなく、やりがいのある仕事を与えれば人は自ら働く。
また、普通の人間は条件次第で責任を引き受けるばかりか、自ら責任を取ろうとするという考えである。

上に立つ者が部下を信用するかできないか。
私は人間関係とは信頼関係の上に成り立っていると思う。

もし私のする事に対して上司が信用をしていないとしたら
私は能力を発揮する事はできないだろう。
人間誰しも
長所があり
欠点がある

お前はここがダメなんだ
って育てられるのと
あなたはここが素晴らしい
って育てられる。
そこの共通するような気がしてならない
苦手克服とは
短所をせめられる事に似ている気がする。

欠点は直していって
克服する方がいい
欠点により
長所が削られるようなことが
あってはいけないと思う。
そこが偏差値教育の弊害だと思う。
私は、
長所を伸ばす事によって
あまりに素晴らしい長所によって
欠点などホンの小さな事となって
気付いた時にはなくなっている

そんな世の中になればいいのに。
こんなことやりたい
こうしたい

これはダメ
そんな事言ったらはずかしい
もっともっと
夢と希望をもって
そのために何をするか。

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