Category:
2007/06/22

シューマン作曲「詩人の恋」
Dichterliebe ハイネの詩に付けられた16曲からなる歌曲集「詩人の恋」
このDichiterlibeもそうだが
シューベルトの「冬の旅」Winterreise同様に!?
恋に破れた末に精神にまで異常をきたしていく・・・
というような内容である。
以前にも書いたが私はシューマンの とりわけ「詩人の恋」に病的なものを感じるが
「冬の旅」にはむしろ健全な精神を感じる。
「冬の旅」の詩はかなり病的な志向をではあるが
シューベルトの音楽にそれを感じることは少ない。
私はそれを勝手にシューベルトの病的への憧れと解釈している。
終曲の「辻音楽師」Der Leiermannなどその憧憬のように見える。
しかし、シューマンは明らかに異常なのである。
シューマンといえば精神病の末ライン川に身を投じたことが有名であるが・・・
あれ・・・??ライン川に飛び込んだ後、精神病院に入ったんだっけ・・?
とにかくその異常さについて分析していくことで明らかにしていこう。

 
イメージ 1
 

音楽の友社 新編 世界大音楽全集 
シューマン歌曲集I

 
Im wunder schoenen Monat Mai, Als alle Knospen sprangen, Da ist in meinem Herzen Die liebe aufgegangen,
この上なく美しい5月に すべてのつぼみが咲く時 私の心の中に 恋が咲き出した。
 
何とも美しい詩でありこの上なく美しい音楽である。
しかし、楽譜を見れば見るほど異常であり
その異常さを音楽から感じない
自然なこの世のものとは思えない美しさから
この作曲家の異常さを感じるのである。
まずは歌のパートを見てみる。
これは順次進行を基調にしたA-durに始まり後半D-durに転調するごく自然な旋律である。
問題!?はそこに付けられたピアノの伴奏。
右手のcisに始まり次は左手のdが出てくる。
これのcisはA-durのII(h,d,fis)の和音の掛留音で
その後のhで一瞬解決している。
 
イメージ 2
 
しかし2小節目にはまたVIのV(cis,eis,gis,h)。
この進行はfis-mollのIV→Vという見方も出来る。
まぁそれが一番自然な解釈であるが・・・。
とにかくこのcis~d、
そこに下方転位音であるaisも加わり調性を不安定にしてる。
またこの旋律の核であるcis→h→eisという増四度の音程も特徴である。
そして歌が始まった瞬間にこの曲のA-durがやっと確立される。
教科書に出てくるようなII→V→Iという形で。。。
イメージ 3

 

しかもバスラインはオクターブ下がって主音へ行くもっとも安定した主和音Iへの解決。
この歌の旋律は出だしのピアノの右手のメロディーの反行型にもなっている。
これは解決と未解決という意味でも対をなしている。
しかし、
ここでも密かに解決を避けているのである。
dがcisに解決されるのは「五月Mai」のiのあたりである・・・!?
これはフェイント!!???

 

イメージ 4
「こんなにも美しい五月’wunderschoen’」
と歌っているのにもかかわらずそこにほんの目に見えない心の闇を見ているようである。
そしてこの旋律が二回繰り返された後、
分断される。
A-durからD-durに転調すると前に書いたが
このA-durのIをD-durのVと読み替えた時、
次の小節はIIの和音になり D(ドミナント)→S(サブドミナント)の弱進行となる。

 

イメージ 5

 

この旋律からすると普通はA-durのV(e,gis,h,d)を付けるだろうが
あえて弱進行にしたところに
「五月の美しさ」と 「僕の心」
のかけ離れた現実を見るような気がする。
特に「心 ’Herzen’」といった瞬間に前奏にも出てきた下方転位音、
ここではeis,ais 

 

イメージ 6

 

そしてさらにはD-durの転調を確定させる上方転位音であるgも出現する。
そして曲は佳境に・・・
準固有和音IV(g,b,d)→V→IとD-durに解決する。
この準固有和音は分断ではなく色彩の変化とでも言おうか?
自然の流れの中での重みに感じる。

 

 

イメージ 7

 

この四小節の中にはさらに解決されることのない音が含まれている。
ピアノの右手に出てくる歌をなぞっているタイでつながった音。
一つ一つの言葉をどこまでも引きずっているような印象さえ受ける。
歌は自然な順次進行をしD-durに解決する。
とした瞬間にピアノはgからgisへ・・・
この強引な転調。
直前に歌がgを歌っているのをかき消すようなgis。
しかもd~gis・・・増四度・・・
どっかで見たような・・・。
ここでもまた「美しい五月」と「私の心」とが分断されているのである。
このように 掛留 弱進行 解決しない
転位音 がこの曲の特徴である。
また2~3小節目のII→VIのVと
9小節目とはA-durとD-durの違いはあるけれども
同じ和声進行である。
さらには4~5小節の進行も弱進行である。
fis-mollとしてみた場合、VからIVというかなり強烈な・・・。
 

イメージ 8

それにしてもこれほどまでに異常な!?曲なのに 何とも自然でありこの上なく美しいのである。
シューベルトの場合、意図して異常さを押し出そうとしているように感じる。
しかし、シューマンはここに何の意図的なものが感じられない。
自然に出てきたものとしか思えないのである。
このわずか4小節×3の中にいくつもの人格がいる・・・ (4+4+4と言うよりは2+2+4のごく短い中)
それは全くの別人格でありながら見事に一人の人間なのである。
私はこの曲を聴くたびにシューマンの異常性に身震いがするのである。
出だしのcis→d→ais 異常性の中の自然
吸い込まれていくような感覚に襲われる 詩人の恋の異常性について・・・
つづく・・・かも — 今日は久々の休みでのんびり昼寝する予定だったのが・・・ シューマンに取り憑かれてしまった。 楽譜を引っ張り出し分析し・・・ ドイツ語の辞書やら和声の本やら引っ張り出して・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください