2009/09/01

聴いていて、本当に素晴らしい
と思う音楽家とは
必ず
音楽性はもちろん
音楽に対する考え方や
人間性に至るまで
共感できる部分が多いものだ。

8月28日のサントリーホールでの演奏は
私が今まで聴いた演奏会の中でも
5本の指に入るものでは無かっただろうか?

彼が私の為に持ってきたCDを私は毎日の
仕事へ向かう途中の電車の中で聞き続けた。

私は
「笙という楽器でこんな事ができて凄い」
と言う時代はすでに終わっていると思う。
それは笙のみならず他の邦楽器でも中国笙でも
同じである。
西洋音楽が技術的・思想的に最も優れていると
考えるのはナンセンスである。
この不自由な楽器で西洋音楽が演奏できたという時代から
西洋音楽よりも我々の音楽の方が優れている事を証明する為に
自分たちの楽器で西洋音楽を演奏する時代にならなければならない。

私にはまだそれはできないが
Wu WeiのCDにはヴィヴァルディがありバッハがあった。
その繊細で一音一音を紡ぎ出していく息からは
西洋とか東洋とかではなく
音楽家としてのWu Weiの素晴らしさがあった。

楽器とは道具であり
音符とは手段でしかない。

日本人から見て
中国語の響きのように
ちょっと過剰かと思える動きで
演奏し続けるWu Weiの姿は
最初、聴衆から見て怪奇に映ったかもしれない。
しかし、音楽が進むにつれ、
オーケストラも聴衆も、
全てが彼の演奏に引き込まれ
独壇場と化していた。

プログラムに作曲家の言葉として
今まで「演奏家」というものから何か導かれ
曲を書こうと思った事はほとんどなかった。
Wu Weiとの出会いがそれを変えた。
と言うような趣旨の事が書いてあった。

全くその通りだと思う。

私もそのような音楽家でありたいと思う。

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