2009/10/14

先日、ある演劇作家・演出家と打合せをした。

今回はまじめに飲まずに打合せをしよう
と言いつつ・・・向かったのは飲み屋。
頼んだ生ビールはエビスで一口目が
めちゃくちゃ美味い!!!

うー
とか
ぎょー
とか

意味不明の事を言いながら
1時間くらいを2センチで
我慢した。。。

それにしてもビールを横目に
仕事の話をしなければいけないなんて
何という拷問なのだろうか

(早く本題に入れ!!)

いやいや
ビールを飲む事を忘れるくらい
話に熱中していたのですが・・・

(ホントかよ)

受動的演劇と能動的演劇

私には最初、何語を喋っているのか解らなかった。
通訳してもらうのにだいぶ時間がかかった。

(別に酔っている訳では・・;)

通訳してもらったのを
私なりに解釈して書くと・・・

受動的演劇は
聴衆は観ていて楽しい。
考えずに楽しい。

能動的演劇は
自分が演劇の芝居の中に入っていかないといけない。
受け取るだけでなく自分から進んで考えさせる。

私が彼の舞台をはじめて観たのは5月。
そして10月の始めにももうひとつ。

そして見終わった後、何日にも渡って
あれは一体何だったんだろう・・・???
とずっと考え続けさせられていたのです。

まんまとヤツの術中にはまってしまったというのでした。。。

さてさて、
この表現は私にとってとても興味深い。
私がいつも抱く、
安易な「音を楽しむ」は受動的音楽に当てはまるし
訳がわからないとか、難しいとか
なんか解らないけどスゴイとか
私の求める音楽は能動的音楽。

全ての答えを教えるのは
受動的教授であり
あえて答えを言わずに
自分で答えを見つけさせるのが
能動的教授。

先日、そんな能動的教授の場面に出くわした。

答えを全て教えてくれる先生からは
全てを理解する事ができるが
全てを理解したという事は
何も理解していない事に等しい。

答えを何も教えてくれない先生は
自分で答えを探さないといけない。
答えを見つけた時に初めて
教わった事を実感できるのである。

この受動・能動という言葉の使い方は
私の中で新たなひらめきと想像を膨らませてくれる
言葉であった。
違う分野の人と話をする事は
同じ言葉でも今まで無かった意味を与えてくれて
自分の世界を拡げるきっかけとなるのですね。

こんな事でも考えさせられている
彼の術中にはまった自分がくやしいが
今回はなかなか事ができそうな予感がしてきます。

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