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2011/03/15
昨日は電車の止まる恐れを抱きつつ
都内へ出た。

土日は全く普通に動いていたのに。

土曜の仕事は中止となり
日曜は普通に結婚式が行われていて
「こんな時期に結婚式なんて」
なんて声よりも普通に世の中が動いていることに
安心した。

しかし、月曜日は全く違っていた。

横浜から東京へ行く手段としては
東海道線も横須賀線も
京浜東北線もすべてJRが動いていないとなると
京急線しか残っていない。

すべてのJRの乗客は京急に回ったために
横浜駅では1時間以上待っても駅には入れなかったらしい。

私はその手前から京急に乗ったのでスムーズに都心までいく事ができた。

しかし、そんな想いをして行った練習の演奏会は延期となり
ドイツ語のコースは今週中は中止、つまり終わり、
仕事は次々と中止となり・・・

そしてスーパーへ行けば食品は品薄
その日の帰り、京急は15時半で運転を取りやめると聞き
慌てて電車に乗り込んだ。
だいぶ時間が掛かってたどり着いた地元の駅で
いつもよりだいぶ多い乗降客は
いつも閑散としているスーパーへなだれ込んでいった。

3月に入ってから急激に値上げされたガソリン。
満タンにすると高いので10~20リッターずつくらい
こまめに補給していたのだが
今、給油することすら困難な状況にある。

日本では海外で起こったような
被災地での商店などでの略奪は決して起こらないだろう。
しかし、健全であるはずの都会ではこのような事態に陥る。

我々にできる事は
被災した方々のことを心配するのは貴重なことである。
しかし、できる事は限られている。
むしろできないことの方が多いのに
しようとすること自体に無理がある。

できもしないことに対して
感情の共有をしようとすること自体
恩義の押し売りとしか思えない。

大丈夫大丈夫と心配して
メールを送り続けるのは
通信の妨げとなる上に
貴重な電源を奪うことともなりかねない。

悲しみ苦しんでいる人の気持ちを
本当に理解できるはずがないのに
理解したような気持ちになるのは
偽善に過ぎない。

「自粛」という名の下に
何かをする事を不謹慎だと
皆を煽動するのは間違った考え方だと
私は考える。

自粛したからといって
被災した方々の為には
何もなっていないからである。

本当に苦しみ嘆いている人は沢山いる。
しかし、どんなにその人の話を聞き
その人と同じ感情を共有しようとしても
そんな事はできないのだから。

そういう努力をする人を否定するものでは無い。
私もしばしば本気でそうありたいと思う。

しかしそれを他人に共用したりはしない。

知人が亡くなった時に
何故私はこんなに悲しいのに
世の中は普通に動いているのか
嘆いたりもした。

道徳を掲げて
自粛を強要するのはやめて欲しい。

被災地に対して心配するのも
自分の生活を取り戻すことが復興と考えるのも
どちらも同じ次元の考えである。

それぞれ個人のできる事など限られている
しかし、できないことをできるごとくして
できる事までできなくなってしまっては
元も子もない。

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