2011/03/22
今日は久しぶりに
雅楽の合奏の練習に行ってきました。

震災と停電の影響で
軒並み練習は中止になっている中、
今日もみんな来ないだろうなぁと
思いながら仲間に連絡してみると
来るとのことだったので
折れかけそうな気持ちを奮い立たせ
雨の中練習に向かった。

17時頃到着し、炭を熾し
みんなの来るのを待っていたが
誰も現れず。
まぁここで3時間ぐらい
一人で練習して帰ってもいいや
なんて開き直っていましたが。

篳篥が二人
笛が二人
笙が私、
計5人。

朗詠「春過」を歌い、
20分くらいある賀殿破を吹き
同じく賀殿急を吹き
迦陵頻
胡飲酒の序に破
までみっちり2時間半以上ふきました。

なんだかずっともやもやしていたのが
だいぶ晴れた気分です。

被災地の人は大変でしょうけど
健康で安全な東京の人たちまで
自粛やら仕事の中止やらで
心の病気になってしまっては
元も子もないですから。

ここしばらく何故か私も
楽器が思うように吹けずに
いましたが、
今日の練習の途中から
楽器に息が入りだし
身体が振動し出しました。

やっと忘れかけていた
楽器の吹き方を思い出しました。

「こんな時でも練習をするのか」
と言う非難の言葉もあるようですが
それでも演奏したいと思って
出てくる人がいると言うのは
誇りに思います。

戦時中でも途絶えることなく
続けていた
なんてのは後の美談としてたたえられている。

何故音楽をするのかと聞かれたら
「したいからするのだ」
と答える以外言葉は見つかりません。
誰かを勇気づけるとか
人のために演奏するとか
そんな考えはどこからどう絞っても出てきません。
そんな事を言う人は
むしろする必要がないがために
言葉を探しているとしか思えません。

無理にする必要がないのなら
自粛も中止もできるだろう。

私はどうしても演奏したいからするだけである。
そこに自粛する理由は見つからない。

音楽は人を救ったりはしない。
非常時には真っ先に切り捨てられる。

音楽で空腹は満たされないが
少なくとも自分自身の心の平穏だけは取り戻せる。

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