2008/05/03
私よりもずっと豊かな才能を持ち
実力もあり、これからどんどん
伸びて行くであろう能力の持ち主。
実力もあり、これからどんどん
伸びて行くであろう能力の持ち主。
そんな人たちも、大学の卒業や就職、
また、卒業後も何年か頑張っていたにも
かかわらず区切りをつけて
一線から身を引いていく。
また、卒業後も何年か頑張っていたにも
かかわらず区切りをつけて
一線から身を引いていく。
何とかして引き止めたいのではあるが
それができるだけの財力も力もない。
それができるだけの財力も力もない。
いやはや、それはきっと他人に
何かできるものでもないのであろう。
何かできるものでもないのであろう。
私のように実力が無くとも
絶対に辞めない人もいれば
能力があってもきっぱりと
見切りを付ける人もいる。
絶対に辞めない人もいれば
能力があってもきっぱりと
見切りを付ける人もいる。
それも、全て才能のうちなのであろう。
辞めないのも実力
辞めるのも実力
辞めるのも実力
芸術家にとって
「プロ」であるか
無いかというのは
さして問題ではないと思う。
「プロ」であるか
無いかというのは
さして問題ではないと思う。
お金を稼ぐのだったら
アルバイトをすれば良い。
アルバイトをすれば良い。
「プロ」であるのは
大部分の場合、仕事が”有ったか無かった”・・・
それだけの違いである。
大部分の場合、仕事が”有ったか無かった”・・・
それだけの違いである。
だから「プロ」であるから
芸術家であるとは限らない。
芸術家であるとは限らない。
本当の芸術には
値段は付けられないはずである。
値段は付けられないはずである。
芸術とはきっと
そこに自分の道を
追い求め続けることだと思う。
そこに自分の道を
追い求め続けることだと思う。
追い求めることができなくなった時に
その人の才能は止まる。
その人の才能は止まる。
むしろ命がけで追求しているものに
値段など付けてはいけないものである。
値段など付けてはいけないものである。
お金の価値は
社会全般の相対的な
価値観であり、
自分の追い求める
「芸術」とは無縁のものである
はずである。
社会全般の相対的な
価値観であり、
自分の追い求める
「芸術」とは無縁のものである
はずである。
自分の芸術をお金で判断されるので
あれば、私は
むしろ「プロ」ではなく
他の手段で生きていく事を
選ぶであろう。
あれば、私は
むしろ「プロ」ではなく
他の手段で生きていく事を
選ぶであろう。
しかし、どんなに綺麗事を言っても
人間食べていかなければ
生活は出来ないのである。
人間食べていかなければ
生活は出来ないのである。