2008/12/10
ファン限定ブログには書きましたが
わたくし、
11月末日をもちまして
日本音楽集団を退団いたしました。

いろいろ、残っている
細かい仕事などがあったため
少し公表が遅くなってしまいましたが。
はじめて書きました。
退団届ー辞表!?

日本音楽集団には
2000年3月
入団オーディションを受け
合格
4月入団。

当時の日本音楽集団は
正団員・準団員・研究生?
などがあり、
普通は研究生になり
一年後に試験を経て
団員になるというシステムだったと思う。

私は合奏経験も非常に乏しかったのにもかかわらず、
ソロでの演奏が評価されてか
特別に最初から団員として
迎えてもらえた。
笙奏者としての合奏経験もとても少なく
また、曲自体が少ないために
このような団体で演奏し、勉強できるのは
とてもありがたい事であった。

特に私の入団した翌年に
入ってきた篳篥の稲葉明徳さんの
存在は大きかった。

即興演奏やアドリブなんて
やった事が無かった私だが
彼に乗せられながら、
なんとか出来るようになっていった。
いや、乗せられているだけで
出来たとは言えないのかも知れない。

アンサンブルでの演奏とは
このような他人によって
自分の能力が引き上げられていく
楽しさがある。
隣でいい演奏してると
よし!オレも!!
ってなってくるんです。
私は笙奏者として入団したのであり
日本音楽集団には作曲家の団員というのもあるが
私はここでは一度も作曲家として登録はしていない。

そんな私に作曲家として
声を掛けてくれたのが
笛の越智さんである。

若手の演奏家と
作曲家で勉強して
新たな曲を作ったり
初演されたまま
埋もれてしまった曲を
発掘して,新たな日本音楽集団を作っていこう
と集まった「研究会」

私は当初、曲を書く事にとても慎重で
この研究会の活動がとても有意義である事を
理解しつつも、曲を書く事を拒み続けていた。

いや、当時はあまりにも
曲を書くのがつらく苦しい事だったのだ。
(今でもそうだが)

しかし、曲は書けないが、
それまでに在る曲での参加は続けていた。

このような活動が継続できたのは
越智さんの情熱と、
たくさんの仲間と
話し、説得し、率いてきたからに
他ならない。
そして、やっと私もこの
有意義な活動に参加できるようになり、
生まれた曲は2曲。
いや正確に言うと3曲であろうか?

「箏四重奏」は
最初、独奏の譜面として作り
それを演奏してもらって、
その効果と、可能・不可能の
実験をした。
そしてまた書き直し演奏。
4人での演奏する4分ほどの小曲として試演。
そして、それを元に十数分の曲へ完成盤。
初演。

この間、一年近くの歳月を掛けた。

「Riesenkraft」は邦楽器の大合奏ための作品。
元々オーケストラのために書いた作品であったが
これを邦楽オーケストラのために書き直す事にした。

ここでは、
私自身まだ書いた事のない
三味線という楽器への実験から始まる。

三味線3人と太棹三味線の四重奏として
曲の在る部分を完成させる。
これも、演奏と書き直しの繰り返しである。

そして、次に
それに箏3人と十七絃を加える。

そして、最後に
尺八・笛などの管楽器、
打楽器を加え曲として完成する。

この課程は私自身の作曲のためのもののみならず
難しい曲を演奏するたびに演奏レヴェルも上がっていく
という一石二鳥の役割も果たしていった。

これは、一つの曲を生み出していく
という課程においては作曲・演奏双方にとって
最高の形でなかったと思う。
私はさらにその先の
夢と希望と可能性に
満ちあふれていた。

しかし
もはや、先に進む事が出来ない
と感じた時
情熱を注ぎ込む事は出来くなり
その時こそ
去るべき時なのである。

自分の力のなさを
嘆いている時間はない。

新たなる道を見いだし
歩み続けなければならない。
ただ、願わくば
この有意義な活動は
継続していってほしいと
祈るだけである。

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