2007/07/08
さびしきみち
かぎりなくさびしけれども
われは
すぎこしみちをすてて
まことにこよなきちからのみちをすてて
いまだしらざるつちをふみ
かなしくもすすむなり
ーーそはわがこころのおきてにして
またわがこころのよろこびのいづみなれば
わがめにみゆるものみなくしくして
わがてにふるるものみなたへがたくいたし
されどきのふはあぢきなくもすがたをかくし
かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
くしくしてあやしけれど
またいたくしてなやましけれども
わがこころにうつるもの
いまはこのほかになければ
これこそはわがあたらしきちからならめ
かぎりなくさびしけれども
われはただひたすらにこれをおもふ
ーーそはわがこころのさけびにして
またわがこころのなぐさめのいづみなれば
みしらぬわれのかなしく
あたらしきみちはしろみわたれり
さびしきはひとのよのことにして
かなしきはたましひのふるさと
こころよわがこころよ
ものおぢするわがこころよ
おのれのすがたこそずゐいちなれ
さびしさにわうごんのひびきをきき
かなしさにあまきもつやくのにほいをあぢはへかし
ーーそはわがこころのちちははにして
またわがこころのちからのいづみなれば
高村光太郎
この詩を詠んで
高校生の頃
なぜか涙していた。
なぜだろう。
こんなものを理解できるはずがないのに
いや・・・いまだに理解できてはいないだろう。
理解できるとか出来ないとか
わかるとかどうとか
そんなことはどうでもいい
私にとってこの詩は
何とも強く訴えかけてくる
のだから。