2008/08/09

今日中にどうしても
ここまで書いておかなくては
いけない!?

初めて行ったオーケストラの
コンサートは

日本フィルの
横浜定期演奏会。
中学一年生の
3月30日

神奈川県民ホールでの
イヴァン・フィッシャー指揮

コダーイ「ガランタ舞曲」
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」
(ピアノ中村紘子)
ベートーヴェン「交響曲第六番田園」

初めて聴くオーケストラの音は
何とも不思議な感覚だった。

特にコントラバスが
なんと重厚に柔らかく
深く響いていたか

そしてこの頃から
レコードでの名演奏も良いが
生の名演奏を聴きたいと思うようになる。

同時に買い始めたのが「音楽の友」
毎月18日発売。
発売の初日に書店へ行った。

そこには数々の名演奏家の話や
来日公演の情報が溢れていた

そして書店で見つけた
「音楽」
という
武満徹と
小澤征爾の対談

私がこの頃
来日演奏家のコンサートの
チケットを買おうとしたのは
ふたつ
小澤征爾=ボストン交響楽団

カルロス・クライバー=バイエルン放送交響楽団

小澤征爾は電話はつながった
しかし残っているのはS席とA席
多分一万数千円だったと思う。
なけなしの小遣いで買う
チケットにしては高すぎた。

そして
カルロス・クライバーは
電話さえつながらなかった。

私は中学二年生の
九月から
N響の定期演奏会に通うようになる。

Cプログラム
一番最初は
マレク・ヤノフスキ指揮で
タンホイザー序曲に始まり
チャイコフスキーの悲愴

1986年は私にとって
人生の転機である

中学二年から三年になる年。

野球部だった私は
部活のために
午後2時頃から4時頃までやる
FM放送を聴くことができない
のを苦に・・・!?
野球部を辞めた。。。

レコードをそうめったに買えない
中学生には
FM放送こそ
命綱!??であった。

N響の定期の二日目に通っていた私は
必ず前日のFM放送で予習する

いやもっと前から
演奏する曲のレコードを探し
買えるものは買って
何度も頭の中に焼き付けていた。

そして半年経った
三月に聴く初めての現代音楽。

前の日にFMで聴いた
カセットに録音まで録った

しかし、
何度聴いても
把握できなかった

一カ所だけ
「把握」できた場所はあったが

しかし、本番を聴いて
すべてが変わった

そして
五月に来日した
カルロス・クライバー

中学三年になった私は
そろそろ進路を決める時期に
さしかかっていた。

そこそこ勉強の好きだった私は
すんでいる学区のトップのK高校か
学区外のかなり難関校(だけど二番手!?)の
オーケストラ部のあるH高校か
悩んでいた。。。

当時塾に通っていた私は
テストの時に希望校を書き込んで
合格の確率などが出たりする。

私は芸大付属やら桐朋やら国立音大付属やら
書いてどんなもんか試していた。

ただ私は知っていた

成績が良くても
そういうところには入れないことを。

私の心は毎年芸大にも進学する人の多い
・・・という噂の
H高校に気持ちが傾いていた。

オーケストラ部に入って
オーボエを始めたい・吹きたい。

そして、もしかしたら音楽家に・・・

何となくそんなものを描いていた。

それが、ある日突然

すべてが
変わった

中学の音楽の先生が
ある学校案内を持ってきた

それはもう進路指導も終わって
希望校も固まっているような・・・

中三の秋・・・
だったような気もする

そんなに
音楽が
好きだったら
こういう学校があるよ

・・・

その先生は
学校説明会にまで行って
そのパンフレットを貰って
きてくれたようなのだ。

そう!
それこそが
・・・

。。。

???

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