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2016/05/08
個人でもグループでも

教えていてしょっちゅう言わなければいけない言葉は
「こっちみて」
なんです。
せっかく手で見本を見せたり
吹いて見せたりしても
自分のことと楽譜を見ることに
一所懸命になっていて
何も見ていない人がとても多い。
その度に
「楽譜とか楽器見ないで良いから
こっちを見て下さい」
って言うんです。
言ったときは見るけど
またすぐ見ない
だからまた言う
「お願いだから僕のことだけを見ていて」
もう何度いろんな場所で
いろんな人にこの台詞を言ったことか。
そもそも
音楽に限らず
先生というのは
生徒に何も教えられないもの
だと思っている。
生徒がどれだけ吸収して
自分のものにして
能力を拡げていくか
しかし、なかなかそうでなくて
手取り足取りという事が多い。
そういう人は
せっかく今示したのに
と思っても
それを言葉に翻訳して
言葉で理解して
そこから演奏をはじめる
私も多くの素晴らしい師に出会い
多くのことを学んできたと思う
その時は師がどんな言葉を発したか
などはどうでも良いことであって
どのようなニュアンスなのか
自分とどう違うのか
何を意図しているのか
必死に観察して読み取ろうとする。
その観察は師とまったく同じになるためのものではなくて
自分と師の間の違いを観察しているのだと思う。
何が自分と違くて、師のどこが良いのか
それは師からも指摘してもらえるが
それだけではあまりにも情報量が少なすぎる。
自分で気づかない限りあまり上達しないと思う。
この師との違いを観察するという行為は
自分の理想とするものと
現在の自分のギャップを埋めるもの
だと思っている。
しかし
この観察しない生徒達は
おそらく
自分の現在に何かを足していっているだけで
目的地がないのかなぁとも思う。
いくら理想的な指の動きを示しても
舞って見せても
自分のことしか見ていないから。
どんな良い先生に習うとか
良い指導を受けたとか
そんな事よりも
良い音楽を聴いて
こういう風に演奏したい
と思ったら
その人がどういう風にしているのか
必死に観察して
ああいう風になりたいなと
思うんだろうな。
始めた頃は
先生の指を凝視してたし
舞の練習の時でも
必死に観察して
自分ができるようになるには
時間が掛かるが
違いに気づくことは
そんなに難しい事ではない
気づいたって事は
できるようになるんだ
と思って
精進しよう
ちなみに
私は教えているときに
何も喋らずに音が鳴っているときにいろんな指示を出してそれですませたい。
時々ことばで補足することもあるけれど。
でもそれが出来ないときには
言葉で言うしかないんだよな。
一から十まで説明しだしたら
もうそれは親切ではないですから。

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