2007/09/21

それは忘れもしない・・・
今思えば
というか
知った・・・1986年5月。

私はテレビに釘付けになった。

一秒たりとも目を離したくなかった。
一秒も無駄にしたくなかった。

ただただテレビにかじりつき
他のいっさいを遮断し
一音たりとも聞き逃す事なく
また彼の動きを一つも見逃すことなく

しがみついていた。

NHKの放送。

演奏日は5月。
放送したのはいつだろうか?

とにかく
私にとって
一瞬たりとも
目を離せる時間はなかった。

話しかけてくる親を
うるさいっ
と怒鳴りつけたのもこの時であった

ビデオなどないこの時期
見れたのはたったの
この一度きりである。

しかし、今の今まで
ずっと鮮明にこの時の
映像は覚えている。

以来私は
彼の振る
ベートーヴェンの7番は
ずっと避け続けてきた。

ウィーン・フィルとの録音があり、
コンセルトヘボウとの映像もある。

それより何より
来日のチャンスは幾度かあった

想いが強ければ
強い程
遠ざけたいという心理は
私の特有なものだろうか??

その鮮明な鮮烈な
印象を壊したくなかった。

そんな禁断の
1ページを紐解いたのは
2004年の彼の死後間もなく。

他の数少ない録音や映像の
最後に購入したのは
コンセルトヘボウとの
ベートーヴェンの7番。
1983年の映像。

そして今日、
そのNHKの映像に
21年ぶりに出会った。

ちょっと避けてはいたのだが

いつか売り出してくれないかと

願っていた

冷静に見ると
1983年のコンセルトヘボウとの
方がいい演奏・・・

かも

あんまり売れるようなものでも
ない

かも

まぁ
そんなことはともかく

比較するものでもなく

再び出会えたことに
感激しています。

カルロス・クライバー

なんだか亡くなった時に
ホッとしました。

生きていればいろいろ
思うところもあるけれど
これだけのものを残して
いてくれれば・・・

この1986年
3月には
三善晃の「響紋」
も聴きました。

私の人生を変えた
一曲です。

1986年。

今まで気が付かなかったけれど

この年は
私にとって
忘れられない
一年であります。

素晴らしい演奏家に
出会えることこそ
私の生命の源

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