2008/06/04
そもそも私は
音楽が苦手であった。
嫌いなのではなく苦手。

歌・ピアニカ・ハーモニカ・・・

ひとり出来なくておいて行かれている
つらい思い出。
思い出すだけであの惨めなさまがよみがえってくる。

さらには人前で何かをするのが
大の苦手であった。

幼稚園の学芸会か何かで
体育館の舞台の一番前で
歌いながら遊技をしている
あの時の辛さは
今思い出しても背筋が寒くなる。
そんな当時の私を知っている人が
今、多くの人の前に出ている事を
知ったら、きっと何かの間違いだと
思う事であろう。
それにしても
ハーモニカは笙から出来た楽器であるし
吹くだけでなく吸って音も出すし
ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)も
発音原理は同じだし・・・
歌は雅楽で良く歌うし
しかも・・・声楽専攻したし・・・

思えば一番苦手とした事を
今やっているんだなぁと。

では、幼稚園から小学生までの
思い出を振り返ってみよう

ーーーーーーー

年少の頃。
「小さい秋見つけた」
を必死に覚えていた。
「・・・くもりのがらす・・・」
「・・・かざみどり・・・」
が妙に印象に残っている。
幼稚園の横に長いような部屋で先生が前に立ち
みんな整列して何度も練習していた光景が焼き付いている。
私は覚えられないでいるのに
みんな覚えていて
取り残されていたような気がする。
でも、この曲、大好きな曲で
聞くと目頭が熱くなります。
年長の頃。
園庭でピアニカを吹いている。
さっぱり理解できずにいた。
このころから自分にはぜったい
鍵盤楽器はできないと植え付けられたような気がする。
何がなんだか解らずに終わった。
吹きながら鍵盤押すなんて・・・
ピアノも右手と左手で
違う事をやるなんてのが信じられなかった。。。
鉄琴を縦にいたヤツ、、がキンキンなっているのと
女の子が首から紐みたいなのをさげた衣装を良く覚えている。
たぶん小学校の2年生の時。
試験か何かだったのだろうか?
教室か音楽室の廊下でハーモニカを
最後まで吹けずに並んでいた。
あれは一階か何かくらい廊下。
左側に教室がありその奥に階段、
右側の部屋へ入る順番を待っていたような気がする。
楽譜を見て何か吹かなければいけなかったような気がするが
楽譜自体理解できないしそれとハーモニカもつながらないのだ・・・。
たぶん一番ビリか後ろから何番目か。。

こんな楽器やだと思った。
ドは吹いてレは吸うなんて・・・
気が狂いそうであった・・・。。。
小学生の頃
風邪をひいたときなど母が子守歌を歌ってくれた。
「眠れよい子よ~♪」
ずっと「眠れよ、いー子よ」だと思っていた。
モーツアルトの子守歌。8分の6拍子。3拍子に聞こえていた。
その打つ手と歌のアンバランスとその後の変拍子感・・・。
小学4年生の頃。
何かの歌を前からひとりずつワンフレーズずつ歌っていった。
私は前から4番目くらい。
私が歌い出した瞬間みんながドッと笑い出した。
この音感はきっと
子守歌で培われたに違いない・・・
それと同じ頃
リコーダーを始めた頃
自分でいろんな曲を吹くようになっていた。
教科書に載っている楽譜は
片っ端から吹いた。
それが面白くてたまらなかった。
たぶん最初に覚えたのは「茶摘み」
何百回も繰り返して吹いた。
その頃音楽の成績には「笛はクラス一番」と書いてあった。
でも成績はB(ABCの三段階評価)
ピアノに合わせて
スネアドラムを即興で叩く授業があった。
私が叩くとまた皆がドッと笑い出した・・・。

大体、私は不器用なのだ。
いや不器用というより
何かが出来るまで他の人より
時間がかかってしまうのだ。
出来るようになれば
どんどん出来るのだが
そうなる前において行かれてしまう。

小学校4年の頃
最後まで逆上がりが出来ずに
昼休みまで残された。
コツをつかんだら簡単に出来るようになった。

そんな風にリコーダーが好きになった私は
今度は家にあった3枚のレコードに興味を持ち始める。

つづく・・・

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