2009/04/07

今日は恒例の洗足での演奏。

音楽史

演奏会が授業という
本当に贅沢な理想的な講義。

CDやDVDで観る
記録映像は所詮
記録であり
生演奏にまさるものは無い
と常々思う。

しかし、それは
たいていの場合
経済的に成り立たないため
記録映像に頼る事を余儀なくされている。

こんな贅沢を
学生が気がついているか
どうかはわからないが。

もう今年で5年目になるそうだ。

疲れた体に鞭を打ち
午前中から最難関の曲である
「呼吸III」を演奏する。

演奏家というものは
そこにいる聴衆の
雰囲気を感じ
それにより
最高の演奏をすることもあれば
ひんやりと冷めてしまい
にっちもさっちもいかなくなる事がある。

かったるそうに講義を受けている姿や
他人事のようにだらだらとしているのは
真っ暗な客席で視界に入らずとも
空気で感じてしまうのだ。

そんな、やる気のない空気は
真剣に聞く人の空気よりも何倍も強い。

空気読む能力よりも
空気感じずに
自分だけの世界に入れる能力が欲しい。

しかし、
演奏家にとっては
そんなのはただの言い訳に過ぎないのである。

今年はそんな
真剣なまなざしのエネルギーに
気持ちを集中させ
自分の中では納得できる演奏はできた気がする。
一年にいっぺんこういう機会があると
これが新年度の始まりだと感じると同時に
少しずつ自分が成長していくのも
みれるような気もする。

それにしても
何にこんなに疲れているのだろうか?

肉体的疲労は
精神力で補う事はできるが

精神的疲労は
体力で補う事はできない。

精神の安定を図るためには
心に直接働きかける薬しか
効き目はない。

自分自身の事なら
自分で何とかしていけるかも知れないが
他人の責任までも自分のものとして
背負っていくのには限度がある。

とりあえず
やる気のない態度に
翻弄されずに
真剣な人たちの視線に
目を向ける事で
均衡を保つだけである。

ただ、
すぐにそのやる気のなさにも
メスを入れなければいけない問題は
そこに迫っているのだが。

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