2009/05/29

大学時代には
図書館にある声明のレコードを
すべて聴きあさり
仏教の本を読みふけっていた私が
何故、そこまでのめり込んだのかは
よくわからない。

物心ついた頃には
すでに祖父はおらず
優しかった祖母は
最も多感だった中学生の頃
相次いで世を去った。

その前に、小学校高学年か
中学生にはなっていなかったか・・・。
おじさんが亡くなった。
子供の私には
「死」
というものがまったく理解できなかった。

先月、元気に話をしていた
あのおじさんが・・・。
木の箱の中に入り
おばちゃんやいとこや
母親は悲しみの渦中にいる。
ついこないだ話をしていた
あのおじさんは
もう身動きすることなく・・・。

寿司を食べ
そして花を入れ
車に乗り
釘を打たれた箱は
二度と開かれることなく
狭い部屋へ納められる
また食べ物と飲み物が並び
それが一段落した頃に
小さな焼け焦げた
白い骨をみんなで拾う。
手が震え
骨を落とし
「痛かったね、ごめんね」
と言う母の言葉は
その時の私には
理解できなかった。
ただ私が見ていたのは
灰となった細い塊の中の
すかすかの茶色いものと
白い手袋をした
「職人」の手際よく
かき分ける仕草だけであった。

それから
母方の祖母と
父方の祖母は
相次いで世を去っていった。

私にはお坊さんの奏でる
お経だけが耳に残った。

その後だろうか?
私の部屋には
親に内緒で買って
目につかないところに隠してある
「曹洞宗のお経の本!?」
そんな感じのタイトルのカセットテープ付きの書籍があった。

私は仏教について本を買った。
無常
悟り
彼岸

死とは何なのか?
生とは何なのか?

そんな時に出会ったのも
また、三善晃の「響紋」を初めとする
三部作である。

そして高校生の頃
新聞の夕刊の演奏会案内の中に見つけた
国立劇場での声明と雅楽の公演。
「日の虚階・月の虚階
日月屏風一雙」
なる公演を聴きに行った。
これが私の初めての
声明・雅楽演奏家だろうか。

大劇場と小劇場で
同時に演奏される。
どちらか一つしか聴くことはできない。
それが虚階なるものらしい。
聴けないが為に向こう側が何をやっているか
想像する・・・。
後半は大劇場が雅楽
小劇場が声明
私は迷うことなく声明を聴いた。

祖母の葬儀では
「お経」の他に
お坊さんが歌を歌っていた。
今思えば声明だ。

これは私の意識の下にあったものなのだろうか?

ともかく私は
声明に惹かれ
仏教の本を読み
大学に入れなかったら
仏門に入りたいと思っていた。
声明を究めるためには
お坊さんになるしかない・・・と

幸運にも大学に入ることができた
私は、雅楽をはじめた。
日本人として作曲するには
雅楽を究めるしかない・・・と。

今日(というか昨日)
師の訃報を受けた。
私には未だに「死」の意味はわからない。
また「生」の意味も。

7~8年前に先生が替わり
その後は1年に1~2回会って
ちょっと話をするくらいの
関係になってしまっていた。
何年間習っていたのだろうか?
10年近く。
「昔ながら」の教え方の師は
厳しくもあり不器用でもあった。

そんな師から
一番最初に習ったのは
「還城楽」

ちょっとさっき舞ってみたけれど
しっかりと覚えていました。
もう10年くらい舞ってないかもしれないなぁ・・・。

これはこれで
大切に
とっておかないと。

知らないなかで
ただ、通り過ぎてくれれば
それはそれでいいのだが
・・・
認知するためにあるのだろうか?

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