2008/02/12
数日前の新聞に
タイガー・ウッズの話が載っていた。

日本でも米でも次世代のスターを
嘱望する気持ちは同じである。
数え切れないほどの候補者が祭り上げられ
消えていったという。

日本では王子ブームである。
次なるスターを求めて
「何十年に一人の逸材」
と言って毎年、何十年に一人が
生まれては消えていったのは
一昔前のことである。
そんな「何十年に一人」の次は
なんとか「王子」である。
白馬に乗った王子を夢見ているのであろうか?
あり得ない幻を夢見ることも
ロマンがあって大切なことである。
しかし、王子と祭り上げて
幻想をだけを見ているのは
あまりに現実からかけ離れすぎている。

本当の「何十年に一人」の逸材は
本当に「何十年に一人」の逸材なのであり
一歩一歩正しく道を切り拓いてこそ
生まれてくるのである。

タイガー・ウッズは
幼少時から天才と呼ばれ
全米ジュニアを3連覇
全米アマチュアを3連覇し
数々の大会を制してプロに転向した
という。

イチローも日本で取れる限りのタイトルを得
メジャーで今の活躍を続けている。

果たして「王子」達に
それだけの次代を担うだけの
実力を「今」兼ね備えているだろうか?

まぁ、そんなものは関係ないのかも知れない。
「白馬の王子」は突然現れ
その実力が後生どうなろうと・・・
ただひとときの「幻」でしかないのだから。
ただの「アイドル」を追い求めているだけなのだ。

アイドルとはいったい何か?
広辞苑によると「偶像」「人気者」・・・
昔あるアイドルに対する評を見た。
演技力は評価されている
歌唱力もある。
・・・
俳優とか歌手なら
演技力とか歌唱力とか
あって当たり前で
それを書くまでもないこと。
それを書くというのは
無いことが前提で
本当にただの「偶像」でしかない
と言うことの証明でもある。

本当のヒーローとは
その世界を極めた人である。

それは、周りが創り上げられるようなものではない。
どっかのボクサーやら
どっかの野球選手やら
この記事にあるゴルファーも
期待されるスター候補ではあるけれども
歴史に名を残した人物ではない。

ニュースを聞いたことはあっても
記事にはならないと書いてある
米メディアはとても正常に感じる。

グレン・グールドも
カルロス・クライバーも
ホロビッツも
トスカニーニも
フルトヴェングラーも
歴史に残る偉大な音楽家である。

今や商業主義が
芸術をも飲み込もうとしている時代である。
アイドル全盛の今
芸術化は少なくなり
いかにしたら売れるかを考える
「音楽家」がちまたに溢れている。

「音を楽しむ」
これは私の最近嫌いな言葉である。
白馬にまたがる王子様に
便乗して行くだけの
安易な「楽しみ」を求めるだけの
中身のない言葉に感じられて仕方ないのだ。

何故美術館に行くか?
と言う質問に対する答えは
西洋では「教養を深めるため」
というのが一番に対し
日本では違う答えであるそうだ。
(あえて個々では書かないが)
何を目的に行くかは自由であるし
どちらが教養が上かどうかなどは
問題ではない。

「楽しむ」
という意味が
癒しとか知っている曲を聴いて楽しかったとか
調子のよいリズムでノリがよかったから楽しいとか

「音を聴く楽しみ」
とはそういう楽しみもあるけれども
もっと深い「感動」があるからこそ成り立つものだと思う。
そこには聴衆も勉強しなければその感動は味わえない。

アイドルはどこまでいっても
アイドルでしかあり得なく
スターを知るためには
その価値観をも理解するための
知識と教養が必要なのだと思う。
それは、決して高い学歴とかではなく
感性と追求する心なのだと思う。

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