2009/10/14

ずいぶん久しぶりになってしまったなぁ・・・

どこまで書いたっけ・・・!???

高校二年生の夏過ぎだろうか?
新しい作曲の先生にお世話になり
それまでの先生にはピアノとソルフェージュを
週2回くらい。

そして、毎月の音楽の友は
発売日の18日に本屋へ走り、
N響の演奏会は月2回。
ワーグナーの「ニーベルングの指輪」
全曲日本初演を聴きに行ったのも
この頃だっただろうか?
一週間のうちに8回演奏会があった時もあった(゚_゚;)

その頃はレコードなんて買うお金は無いので
N響は2日同じプログラムで演奏しているので
1日目はFMで予習、翌日本番を聴く。
そして「リング」なんて一年分の小遣いはたいて
買ったチケットなので死ぬ気で聴かないと!?
とか何とか言いながら「名曲解説全集」を借りてきて
そこに載っているストーリーと譜例を元に
勝手に想像してピアノで弾いてメロディーを覚え
演奏会に備えた?!

その頃の私の興味は
オーケストラをピアノで弾く事。

中学生の頃からのクラシック仲間の友達と
連弾をしたりしていた。
最初はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の
第2楽章を連弾に編曲。
ところどころオーボエ吹いたりして・・・。

そしてドヴォルザークの「スラブ舞曲集」は
これは楽しかったですね~。
発表会でも弾きました。

家から2時間以上かけて通う
作曲のレッスンは緊張しつつも
とても有意義なものであった。

思えば先生は一度もクビを縦に振った事が
なかったような気がする。
和声の課題でも良いものが出来たと思っても
もっとこうすればもっと良くなる
ここをもっと
もっと
もっともっと
とキリがなかった。
そうなのだ
音楽に100点など無いのだ。
どこまでも終点が無く
ここまでできたら
もっとできる。
それがどんどん自分を高めていく
事なんですよね。
私はこの「もっともっと」
って言うのが楽しくて仕方ない。
(これを否定ととる人もいるのですが・・・)

その頃、私にとって本格的な!?
最初の作品とも言える曲を作曲した。
高校2年の終わりの校外演奏会で
初めての作品発表でもある。
ピアノ曲で交響的幻想曲と名付けた
部分的には4段で書いていたりして・・・
今見ると顔から火が出るほど
めちゃくちゃ恥ずかしい。
それにしてもピアノを弾いていながら
ピアノの音を聞いていない
オーケストラへの憧れなのでしょう。
この時の演奏はちょうど入学直前の
新入学生の何人かも聴きに来ていたようで
後々、印象に残っていたと聞かされた。
高校3年生にしてやっと劣等感は薄まりつつあり
楽しくも??!!短い・・・高3を迎える・・・。

つづく

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