2014/06/16
先日、友人たちとドイツレストランで食事をしていて

ちょっと笙を吹いてみてと言われたので
そこに居た10人ほどの見知らぬ人や店の人をお客に
ちょっと演奏した。
なかなか自分にとっては楽しい時間だったが
ふと、最近いろいろなところで見かける
「プロにただで仕事をさせるなんてもってのほか」
のような投稿を思い出した。
「プロになるまでにもの凄いお金がかかっているんだからそこに対価を払うのは当然」
とか
「商品をただでよこせと言っているのと同じ」
とか
「プロだったらちゃんとお金を取らないと他の人の仕事もなくなる」
とかなんとか
「プロがただで仕事をして良いか」
とか
私にはとても違和感があった。
確かにおっしゃることはその通りです。
でも嫌なら断れば良いだけで
ただでもやりたい人はやればいい。
(みんなでよってたかってこれはひどいなんて言ってても何にもならないのに)
それより何より私が違和感を感じるのは
自分がした仕事の対価や評価の基準が
この人たちにとってはお金だけなのかと。
私はむしろ金額がどうとか以前にそれをやりたいかやりたくないかで判断する。
お金が貰えなくとも自分が充実し満足できればそれはお金には換えられない
対価を得たことになる。
逆にやりたくない仕事でもお金が貰えればふところは満足する。
自分自身がどう納得すればいいかだけで
依頼する人が何を与えてくれるかなんて物よりも
自分自身がその仕事にどう価値を見出すかが重要だ。
だから私はノーギャラでも
そこに価値を見出した時は
喜んで演奏する。
お金に換えられない物を得られると思った時は。
でも
お金下さい
心の満足では空腹は満たされません。。。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください