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2019/11/24

11月27日に初演するRequiem IV „Acosta Ñú“の舞台である Acosta Ñúへ行った。今回ここだけは絶対に訪れたかった場所。
150年前の1869年8月16日。数千人の子供達が戦争に参加し犠牲となった場所。一説には2万人のブラジル兵を相手に3,500人で戦いほぼ全滅したという。そのほとんどは9歳から15歳の少年兵だったらしい。

その事から現在8月16日はパラグアイではこどもの日になっている。

朝6時にアスンシオンを出発する。途中カアクペと言う街に立ち寄った。

そして延々と続く長閑な風景の途中で車が停まった。

モニュメントがある。

Isla Pucuという場所。戦争の絵のような物があり、当時の弾頭や剣の用のものが置いてあった。むしろIsla Pucuというところの方が印象的だった。戦争の絵のような物があり、当時の弾頭や剣の用のものが置いてあった。

アコスタニュまでは10キロほどなのでここでも同じような悲劇が起こったのだろうか?なんの説明もないので全く分からない。

イスラ・プクを後にしアコスタニュへ向かう。しかしそこは誰も行かない場所のようで近くの住人もあまり知らない。そして道にも何の標識もない。

道を外れ舗装されていない山道の様な所を入りモニュメントのある丘の下に着く。

„Acosta Ñú“の悲劇はパラグアイ人なら誰でも知っているという。でも „Acosta Ñú“へ行く人は誰一人としていない。どういう事なんだろう?そしてここは道から一歩入った小高い丘の上でモニュメントが最近作られただけのところ。なんで誰もここに行こうと思わないのだろう?

 

やはりここにも長閑な風景があるだけでした。

たぶんこの下が戦場だったのだろうけど何の説明もないから全く分からない。台本を書いたニュネッツさんと一緒にここを訪れたのだが、なんとなく煮え切らない2人。だってはるばるここまで来てあの辺が戦場だったのかなぁ?くらいなのですから。。。

そこで車を停めてもらい(おそらくどこへ行っても同じ様な風景が広がっているので)

ここがアコスタニュの戦場だ!

台本に出てくる
「ジュクル川を渡ってカラグアタウの森へ行け!」

と勝手にこの池をジュクル川に見立て記念撮影。

そしたら川も出てきたので川も撮影。

カラグアタウの森というのは「生」の象徴

アコスタニュ=戦場は「死」の象徴

そして生と死を分けるのがジュクル川。

 

きっとこんな川だったのだろうなぁと想像しながら自作を思い浮かべるのでありました。。。

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