2019/10/31

昨日、演奏会の後の打ち上げである作曲家と話をしていた。

高校生くらいの段階で教えていて
和声を教えていても、楽典でも、ピアノでも
この人は音楽家としてやっていけるというのは
一瞬で解る。
そうでない人、無理な人も一瞬で解ってしまう。
やっても無駄な人はその時点で軌道修正をしてあげないといけない。

と言うようなことをおっしゃっていた。

無駄なのにやるのはお金と時間の多大なる浪費。
それでも良いのなら人生そこに浪費しても良いだろうが。

確かに音楽家としてやっていけない人は一瞬でわかる。
いや、私の場合は音楽家としてやっていける人は一瞬でわかる。
そもそも高校生など教えていないし。
音楽家として生きていける人はもうその時点で音楽家になっているのだ。
とりわけ実績があったり、秀でたりしているわけでもなく。
ただ、やっていけない人の見分けはあまりつかない。
つまりそれ以外の人なんだけど。
それ以外の人であっても、やっていける人になるかも知れないと
淡い期待を抱いていたりするが、
でもそもそもが、その時点でもうやっていけない人なんだろうなぁ。

私の言う、たぶん昨日の作曲家も同じだろうが、
音楽家とは、お金稼いでいるだけではないんだと思う。
音楽でお金をもらっていなくても立派な音楽家はたくさんいる。

お金をもらっているだけで音楽家でない人もいっぱいいる事も
また事実。

私は先生から軌道修正を迫られていたのかなぁ?
何も出来なかったけど、認めてくれていた気がするな。

音楽家の資質とか才能って何なんだろう?

少なくとも良い音楽家は100%の音楽家だ。
音楽を志した時から
まだ何も出来ていない時から100%の音楽家になっていたんだとおもう。

そこが違いなのかなぁ?

 

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