2018/12/10

音源を聞いて練習をするのが何故よくないか

それをひとことで言うなら

自分で考えなくなるからだ。

 

自然と流れてくる音を聞き流す事によって

自分自身で考えどういう音を鳴らすのか

創造の一番重要な部分を「その音源」に固定化させてしまう。

自分の脳内で自分の理想の音を鳴らすという作業こそ

音楽を創る上で一番重要な事だと思っている。

 

そもそもこの音楽業界で言われている

「音源」という言葉はどこから来たのだろうか?

 

私は今も昔もこの言葉は使わない。

録音とか、誰々の演奏とか、CDとか

優れた演奏を聴く事はあっても、

音源として聞く事は無い。

 

「音源」という乾いた事務的な響きは

楽譜を読むための、練習するための便利なツールとしての音としか聞こえない。

また機械的な音を正確に産み出すために必要な道具なのだろうか?

創造のない音は無機質な生命を感じられない音の羅列だ。

 

どうも音源は聞くが音楽を聴かない

という人が多いようだ。

そういう音楽を「勉強」している人が多いのだろうか?

 

良い演奏を聴く事は

音楽的センスを磨くのと

想像力・創造力を膨らますのに非常に重要な作業だ。

 

自分の内側から湧き上がってくる音楽

それこそが音楽をする楽しみ。

 

レッスンで録音して何度も聞き直したり

先生の言葉を必死に書き記したり

そんな事をよりもそこで集中して

よい音を聴き、先生の言葉から最高の音楽を頭の中で想像し

それを実行できるようにする

それができれば、音源も録音も必要にならなくなるはず。

 

よい演奏を聴き

自分の頭の中で最高の音楽を鳴らす事ができれば

実際に最高の音楽が創造されるのもすぐなのだと思う。

 

 

 

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