2018/08/21

8月26日第40回小金井薪能が開催されます。

その中の創作ダンス《The KUMANO》で
私は作曲と笙の演奏を担当しています。

元々は昨年11月、銀座の観世能楽堂で津村禮次郎さんのリサイタルで初演された作品に、今回は序の部分を追加して45分ほどの作品に仕上げました。

初演は
笙、ヴィオラ・ダ・ガンバ、和太鼓の演奏
能の舞、三人のバレエダンサーによるものでしたが

今回は前回振付でコンテンポラリーダンサーの小㞍健太さん
そしてテノールの福井敬さんが加わり
伴奏も篳篥と和太鼓が2人と5人のアンサンブルとなりました。

前回の公演概要はこちら

≪舞う≫ 修験と巡礼の道

前回の公演後のブログです。

津村禮次郎 ≪舞う≫ 修験と巡礼の道

さて、公演も終わりこの《The KUMANO》を是非来年佐渡と小金井で再演したいという話しが持ち上がりました。

そして次の打合せで集まる頃から新しい名前が出ていて

福井敬

いや、名前は知ってますが

まさかあのテノールの福井敬じゃないですよね??

ってあの福井敬さんで

福井さんの歌を入れて序を作りたいというのがはっきりしたのが

今年の四月頃でした。

 

かなり焦りました

だってオペラ界のスーパースター福井敬さんですから。

おそらく現代曲はやった事ないでしょうし

どんな曲を書いたらよいのやら

 

しかしお会いしてみるとなかなか柔和で温厚な方で
さすが津村さんが集めたメンバーです。
この方なら何書いても大丈夫だなという安心感がありました。

さて、今回の序の部分には次の3つの歌を用います。

「熊野へ参るには紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず」(梁塵秘抄より)

「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」(和泉式部)

「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」(和泉式部の夢の中の熊野権現の歌)

 

この《The KUMANO》は
熊野の神は男や女、浄不浄を問わず塵でさえも分け隔て無く受け入れる
というのが大きなテーマとなっています。

私はこれを
西洋音楽や邦楽、能、雅楽、オペラ、ダンスなど
全く性質の異なる音楽・異文化を分け隔て無く
同じ土俵の上に載せて再現しようと考えました。

そして振付・演出の小㞍さんから
福井さんの歌でプッチーニの”Nessun Dorma”(誰も寝てはならぬ)
を入れたいと。

そんな無謀な申し入れ

断固拒否しました

他の曲を提案したり

でも

どうしてもと言うので

そんななんの繋がりもない曲をなんでここに

とか思いながら

 

楽譜を眺めていると

本編で書いていた和音と同じ和音進行が延々と繰り返されているではないですか。

この楽器編成でオーケストラみたいな伴奏をするのはあまりに安っぽい音楽になってしまいます。

これをどう作り上げてここにあるべき音楽とするか。

これが作曲家に課せられたテーマだと思っています。

まず、テノールは3つの人格を持つように構想しました。
・テノール歌手
・女声
・雅楽の歌

そしてそれぞれの楽器にも
・伝統音楽の奏法
・現代音楽の奏法
・他ジャンルの音楽の奏法

これらのことを行うことにより
本来の楽器や音楽の持つ音楽性の提示と
違うジャンルの演奏をすることにより相互の交流
などが可能となる音楽を目指しました。

オペラが出て来たり
神楽歌が出てきたり
和太鼓が活躍したり
日本歌曲
バロック音楽

いろいろなものがごちゃ混ぜのように見えますが
全編を通じてみるとまとまっているという曲を目指しました。

 

小㞍さんについては「音が見える」で書いています。

ここで見てしまったのでこんな無理難題も受け入れる気になったのでしょうね。

音が見える

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください