これも残しておこう
雅楽を説明する時に言って欲しくない言葉1
「指揮者がいなくても演奏できる」
西洋音楽も指揮なしでも演奏できますから
— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 12, 2017
雅楽を説明する時に言って欲しくない言葉2
「篳篥は主旋律を奏する」
主旋律というのは
対旋律とか副旋律とか
伴奏とかに対して
主旋律であって雅楽の場合
同じ旋律を装飾的に時間的にずらしている
ヘテロフォニーなので
そもそも主旋律という概念がないはずである— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 14, 2017
ポリフォニー(多声音楽)、ホモフォニー(単声音楽・旋律と伴奏)、モノフォニー(ひとつの旋律のみ)
ヘテロフォニーというのはひとつの旋律を装飾したり時間をずらして演奏している音楽の事。多声性・異音性などともいう。— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
つづき
笙
レーーーシーーーミーーーミーーー
篳篥
レーミーシーラシミーミレミーミー
横笛
レーミーシ♭ラシミーミレミーミー笙が元の旋律と考えれば篳篥も笛も装飾していると考えられ
篳篥だとすると笙は簡潔化し笛が装飾している
つづく— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
つづき
ここには主従関係はなく
もし篳篥を主旋律とするなら
その根拠は音が大きいという事だけである。— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
雅楽を説明する時に言って欲しくない言葉3
「笙はハーモニーを担当する」
うーん、これはある広義では間違いではないのかも知れないが
機能和声を勉強してきた身としては非常に違和感がある。ハーモニー(和声)
コード(和音)「笙は和音を演奏する」なら問題ない
つづく
— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
つづき
私のごく個人的な感覚としては「和声」は調性音楽における主和音から下属和音や属和音を経て主和音へ向かう「機能」を持った「和音」の「連結」であり、笙の和音の連結にはそのような機能性はない。
しかし、ハーモニーをふたつ以上の和音の連結と広義に取った場合、確かに正しいとも言える— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
つづき
まずひとつの問題は
ここで言っている人はおそらくハーモニー(和声)とコード(和音)を混同していると思う。
つづく— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
つづき
しかし、私のこれまたごく私見では
笙の合竹は和音ではあるが和音ではない。
おそらく日本人にはハーモニーという感覚がないのではないかと思っている。
それはヘテロフォニーの音楽であり
元はひとつの旋律であり
それを装飾するのと同じ感覚で
音を上に積み重ねていったのではないかと— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017
「指揮者がいなくても演奏できる」
から「指揮者がいなければ演奏できない」に繋がり
でも「鞨鼓が指揮者の役目を果たす」から演奏できる
みたいに繋がっている違和感があるのは
西洋音楽をよく知らないのに
安易に分かり易い言葉を使い比較していること— 真鍋尚之 offizielle (@sho_manabe) May 15, 2017