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2018/10/15

《手遊び十七孔》は2008年のリサイタルVol.5 「独奏」の為に作曲してもらった。

徹底的に雅楽の響きを排除し、楽器としての技巧をとことんまで追求していった作品。

音が17しかなく、組み合わせも非常に限定されている笙という楽器で、
考え得るすべての和音の可能性を書き出していったという。
合竹(雅楽で用いられる和音)と異なる響きの和音
三和音
半音の積み重ね
全音の積み重ね
3度の積み重ね
4度の積み重ね
5度の積み重ね

そして
指順による奏法
(時計回り・反時計回りに順に音を鳴らしていくなど)
和音を右手と左手に分解したシェイク

トレモロ奏法

対位法的奏法

半音階

息の技法
ダブルタンギング
フラッター(吐気)不規則なダブルタンギング(吸気)

それまで私自身多くの試みを行ってきたとは言え
全ては、それまで演奏してきた物とは隔世の感があり
非常に複雑で高度な技術を要した。

しかし、その楽譜の中には演奏不可能な音が1音も書いておらず
演奏者が努力さえすれば高度な技術を身につけることのできる作品であった。

それにしても当時の私にはこの作品は「十年先を行く作品」として映っていた。

《呼吸III》で獲得した奏法は誰も追いつくことのできない
超人的な世界記録を成し遂げたと自負していた。
その記録をいとも簡単に、しかも考えられないほどの記録で更新してしまったのだ。
10年分の仕事を1人で成し遂げた業績は大きい。
その後に続いた10年間の作品を見ればそれは明らかであろう。

川島素晴さんはこの《手遊び十七孔》を私への挑戦状だという。

挑戦を受けた以上、返り討ちにしなければいけない。

初演の時のゲネプロで私がこの曲のある一節を吹いた時
彼は思わず「すげぇ」ともらした。
私は一瞬「勝った」と思ったが完全に彼を打ちのめすために
10年後を目指すことを決めた。

しかし練習すればするほど
霧が晴れていくように
演奏可能になっていくのだ

これは確実に演奏できる音と運指のテクニックで書いているからに他ならない。

10年掛かると思っていたものはおよそ1年の練習で技術的には可能となった。

しかし技術的に可能にしたとしても、《手遊び十七孔》の音楽的な難しさは10年の時を経ても変わっていない。
音楽的要求に沿えば沿うほど技術的に不可能な領域へ踏み込まざるを得なくなる。

 

この曲の誕生から私にはひとつの構想が出来上がっていた。

1つの曲を演奏することによってある音型は非常に得意になる。

《手遊び十七孔》では半音階や三和音など瞬間的に演奏できるところまで向上してきた。

しかし依然として音階(半音階・全音階・調性)を演奏するのには
不規則に並ぶ音の配置から非常な労力を必要とする。

これらの問題を解決するために徹底的に音階や和音、指づかいなどを
さらに体系的に網羅した作品を作ると言うこと。
楽器としての性能をさらに上げるためにはこの様な作品が必要なのではと。

《Invention IV》は新たな彼への挑戦状である。

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