2007/09/25

年功序列とか

それを飛び越えていく
世襲とか

一見封建社会の
理不尽な制度かと思うが
ある意味
とてもいい制度と
思えることがある。

高校生くらいまでは
学校の中で大抵、
年齢やら経験やら
実力などが割りかし
年齢に即している。

大学生くらいになると
ちょっとずつ
学年と歳がずれてきて
社会に出ると
その開きは
場合によっては
より大きくなっていく
部分もある。

わたしのいる音楽の世界では
きっとその開きは比較的大きい
ように思える。

定年を迎えて始めるような方は
人生の大先輩だが雅楽の世界では
新米である。
そんな方が誰よりも先に来て
炭を熾し準備している姿を見ると
人としての尊敬の眼差しが生まれてくる。

昔ばりばり吹いていた人が
歳を取って以前のように吹けなくなってくると
若い人はそれを乗り越えていくのは
当然のことだと思う。
スポーツでも下のものが上のものを
破り世代交代していく。
それは実力のあるものが
ないものを踏み越えていくというのとは
違うと思う。
現役の力士が親方と
勝負しても何の意味も持たない。
尊敬できるから師であるのだろう。
わたしのそばにもそんな
尊敬できる大先輩がいる。

雅楽には楽師と民間
といういわば身分制度のようなものがある。
「民間」であるわたしは決してここを
乗り越えることはできない。
世襲と同じように年功序列をも
飛び越えていくものである。
わたしが何十年やって実力を
つけようとも、22,3で楽師になった人に
常に追い抜かれていく。
しかし、わたしの尊敬すべき楽師たちは
10以上年下であろうが、わたしがどれだけ
努力してもかなわないというだけの
ものを持っている。

それだからこそ
わたしは年功序列や
世襲や封建社会も
いいものだと思う。

決して制度が人を上に立たせることはないのだから。

そうでないものは
見えないようにしよう。

尊敬すべき人たちから
今日も沢山のことを
学んでいける
そんな環境に
いれるわたしは
恵まれているなぁと。。。

みのるほど頭を垂れる稲穂かな

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