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2008/03/05
名指揮者の軌跡
vol.1 カルロス・クライバー

私はこれを1~2年くらい前
新星堂にだけ一枚、最後に残っていたのを
急いで購入した。

4,700円(税抜)!!

白黒&モノラル
なので高いなぁと思いつつ
これを逃すと再発売なんかされないだろうと
思いつつ思い切って・・・
そしたら先月末
再発売!><
しかも2,500円〔税抜)

ちょっとショック。

でも、この1~2年の貴重な時間を
2,200円で買ったのだと思えば
安いもんだと・・・

でも2回くらいしか見てないけど・・・++;
さてさて
そんな愚痴はともかくとして
内容は

「こうもり」序曲(1969年12月、1970年1月)(リハーサル34分、本番8分)
「魔弾の射手」序曲(1970年4月) (リハーサル47分、本番9分)

南ドイツ放送交響楽団〔現シュトゥットガルト放送交響楽団)

となかなか見ごたえがある〔疲れる・・・)
思えば20年くらい前にテレビで放送したのを
見たような記憶もある。

まず、私が全編を通して感じるのは
若いクライバーがいかに楽団員に気を遣って
いかにして自分の考えを伝えようとしているかである。

最初は、「この若造が」って感じで
しょうがねぇやってやるかなぁと言わんばかりに
吹いていた、気難しそうな長老のオーボエ奏者が
最後には身を乗り出し眼鏡を外してその「若造」の話に
耳を傾ける姿を見た時はかなり感動した。

と言うのも私は
その二人の間に流れる微妙な空気にドキドキしていた。
二人と言うよりはオーケストラ全体の雰囲気というのだろうか。
厳格の象徴のようなオーボエ奏者。

私だったら逃げ出したくなってしまいたくなるような
微妙な雰囲気。

作曲家であったり
指揮をしたり
アンサンブルの中心的役割を
担ったりしたことのある人なら
必ずと言っていいほど
この空気は感じたことがあるはずである。

やる気がなくなったり
集中力がなくなったり
耳を傾ける気がなくなったり
そうなった瞬間に
もう何もコントロールすることは
不可能となってしまう。
気難しくリハーサルの途中で帰ってしまったり、
と言った逸話で有名な!?クライバーだが
若干39歳のクライバーはここまで気を遣って練習を
していたと言うことが垣間見える。
いや、若いからという訳ではないと思う。
一世を風靡している時代も同じだったであろう。
余りにも色々なことが見え気を遣っているあまりに
オーバーヒートしてしまい耐えられなくなったのだろう。

この映像はおそらくかなり編集されており
クライバーの「ことば」がかなり目立っている。
とても比喩が上手く、「クライバーのことば」として
しばしば注目を集めるが、私は余りそうも思わない。
あくまでも比喩であり手段でしかないからだ。

音を出せない指揮者や作曲家は辛い。
だからこそそういう手段を身につけなくてはならない。

いつも頭に電極でもつけると
自分の中にある音楽が再生できる装置でもあって
こうやるんだ!って言えないかなぁと思う。
でもまたそれもちょっと違うんだけど。
聴いたものを再現してもなんの意味もない。

そんな意味も含めとにかくいかに必死に
色々な手段を使って相手のものを引き出そうとしていたが
がわかる練習風景である。

必ず2回3回とやっていくうちに集中力が
鈍ってきてしまうが、その辺のコントロールの仕方も
よくわかっている。
○問題を指摘する
○比喩を使って説明する
○相手をおだてる
○冗談を言ってその場をなごます
このバランスが彼の指揮姿同様
変幻自在で鮮やかなのである。
切れかけていた集中力もすぐに戻り
音が生き生きとしてくるのがわかる。

もちろんこれらはクライバーの音楽を伝える為の
手段であり、後のカリスマ的なクライバーの姿からは
想像できないほど楽団員に対して気を遣っていたことがわかる。

どんなに偉大な才能を持っていたとしても
必ずしも全ての人がそれに同調するとは限らない。

様々な努力の積み重ねで
10年後20年後のあのクライバーの姿があると言うことを
実感させられるこの映像である。

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