2008/04/18
芸術とは・・・
音楽とは・・・
最近よく考える事である。
芸術音楽とは・・・?
何か20年前くらいとすっかり
変わってきてしまったような気がする。
変わってきてしまったような気がする。
演奏会・音楽家に求めるもの
娯楽
エンターテイメント
教養
娯楽
エンターテイメント
教養
商業と芸術
お金になるもの
お客さんを呼べるもの
お客さんを呼べるもの
芸術家の思想を追求するもの
大衆芸能と芸術
流行りと普遍
思想
大衆と識者
素人と玄人
素人と玄人
私の行っている音楽は
芸術音楽
芸術音楽
そんな言葉があるのだろうか?
商業音楽
エンターテイメント音楽
エンターテイメント音楽
どれも立派な音楽であり
それらを否定するつもりはない
それらを否定するつもりはない
ただ音楽の中の芸術性を追求しようとした場合
必然的にそれらとは距離を置くことになる
必然的にそれらとは距離を置くことになる
かつてそのような音楽家は
例え映画音楽や劇版音楽であろうとも
その中に芸術性を追求し商業化されなかったものである。
そして、共存していくこともできたのである。
例え映画音楽や劇版音楽であろうとも
その中に芸術性を追求し商業化されなかったものである。
そして、共存していくこともできたのである。
武満徹などその代表であろうか?
1970年代の映画やテレビには
驚くほど斬新な、前衛的な
いわゆる「現代音楽」が用いられている
ものを観たことがある。
驚くほど斬新な、前衛的な
いわゆる「現代音楽」が用いられている
ものを観たことがある。
「芸術のための芸術」
という言葉がある。
という言葉がある。
芸術はそれ自身のために存在し、
他の何ものにも制約されないということ。
(広辞苑より)
他の何ものにも制約されないということ。
(広辞苑より)
「芸術至上主義」が
「商業主義」に取って代わられてきた時代なのだろうか?
「商業主義」に取って代わられてきた時代なのだろうか?
「他の何ものにも制約されない」
どころか演奏家自らが
「お客さんが喜ぶために
何をすればいいのか考えるべきだ」
などと当然のよう唱え
芸術家としての思想を追求しようとすると
「お客さんのことを考えていない」
などと自己中心的レッテルを貼られてしまう
時代である。
どころか演奏家自らが
「お客さんが喜ぶために
何をすればいいのか考えるべきだ」
などと当然のよう唱え
芸術家としての思想を追求しようとすると
「お客さんのことを考えていない」
などと自己中心的レッテルを貼られてしまう
時代である。
10数年ほど前、「ファジー」
という言葉が流行ったが
芸術とエンターテイメントの境が
余りにもファジーになり
総大衆化へと歩み続けている気がしてならない。
という言葉が流行ったが
芸術とエンターテイメントの境が
余りにもファジーになり
総大衆化へと歩み続けている気がしてならない。
芸術家本位が
プロデューサー本位へと
変わっているからだろうか?
プロデューサー本位へと
変わっているからだろうか?
何度も言うが私は「芸術」と「商業」の
どちらが上とか尊いかなどはまったく問題にしていない。
どちらが上とか尊いかなどはまったく問題にしていない。
「芸術」を追求しようとするものの
その機会がどんどん狭められ、
そのことにより揺るがぬ思想を持つ
芸術家が少なくなっていくのを
憂いているのである。
その機会がどんどん狭められ、
そのことにより揺るがぬ思想を持つ
芸術家が少なくなっていくのを
憂いているのである。