2008/06/22
音を楽しむとは
なんと浅はかな
実のない言葉か?

さっき
チャイコフスキーコンクールの
神尾真由子さんの演奏を聴いた。
どうでもいい解説者の言葉は
聞こえないことにして、

恥も外聞もかなぐり捨て
技術もテクニックもなく
死ぬ気で弾いている姿の
なんと美しいことか?

最後のひとつの細胞を
血の残る一滴までを
絞り出して演奏する。

そこにテクニックも音楽性も
ない

ただ生きるか死ぬか

そんな命がけの演奏をした後は
10年くらい休めればいいのに

人生数十年のうちに
そんな命がけに
しょっちゅうなれる訳がないのだから

そうしているうちにまた
機が熟して
そんな可能性が生まれてくるかも知れない。
音を出すとは
なんと苦しくも
つらいことなのか

その中にこそ
私は
喜びを見いだす

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