2008/11/04

著作権というものは
音楽家にとって
もっとも大切にしなければいけない
権利である。

特に作曲家にとっては。

自分の作品が
自分の作品たる
ゆえんとなる権利だから。

印税どうのという話しではない。

人間として
自分が自分であることの
証明のようなものだ。

芸術家として
創造したものが
唯一自分の作品である
事を主張する権利でもある

それに由来して
お金をもらえると言うのは
そのほんの権利の一部分にしか過ぎない。

自分の作品というのは
自分の子供というのにも等しく
自分自身というのにも等しい。

いや、自分の魂
それ自体であるはずだ。

ビートルズの著作権を
マイケル・ジャクソンが
買い取ったという話しは有名だ。

そこで巨額の金銭が動いたとして
全くの第三者である人物が
それを管理することによって
自由に演奏出来なかったり
世に出ることが困難になる
多くの不利益が生じる。

どのような経緯で
そのようなことになったのかは知らない。

しかし、マネーゲームのように
それらを扱うものではない。

昔、宮廷音楽家が
自分の生活と共に
曲を書き演奏していたのとは
訳が違うはずである。

魂を
お金と引き換えにする
と言うことなど
軽々しくできるものなのだろうか?

しかし、
世の中どこへ行っても
金である。

魂やら気持ちは
どこへ行ってしまうのだろうか?

石油の高騰も
株も
経済も

みんな判断基準は
「カネ」だろうか?

さて、話しは
すっかり著作権から
離れてしまったが
著作権の一部を紹介しよう。

ある作曲家が曲を書きました。

みんなが知っている曲です。

演奏したいと思います。

演奏するためには楽譜がいります。

5人だったら5人分
楽譜を買わなければいけません。

学校でコピーして楽譜を
もらうのに慣れている昨今。

ただ、教育のためにはコピーは可
というルールもあります。

しかし、5重奏の曲を演奏する時
5つ楽譜を買っているでしょうか?

合唱を演奏する時に
合唱団が全員分の楽譜を購入しているでしょうか?

そして、演奏する以上
それが営利を目的としている場合(入場料を取る場合など)
当然、著作権者に対して
その使用料を支払うべきなのである。

演奏というのは
作曲家の汗水たらして
創り上げた作品を
利用して
自分の表現をするという行為である。
当然それに対する対価を支払うべきものである。

カラオケは
その曲をかけ
お客さんが歌うことで
利益を生む産業。

演奏会は
その曲を演奏することで
お客さんを呼ぶ産業。

出版は
その曲を演奏したいと思う人が
楽譜を買うことで成り立つ産業。

CDやその他記録媒体は
その演奏を聴きたいと思うことで
媒体を買うことで成り立つ産業。

そこには
著作権者あってこそ
ありえるのだ。

クラシックの世界では
当然のごとく
○○作曲「△△(曲名)」
という表記をする。

しかし、作曲家など関係なく
曲名だけ表記という世界も少なくない。

金儲けしたい人は
するがいい。

ただ、
魂を売るような行為だけは
同じ芸術家の端くれとして
見ていて気分が悪い。

幸い私は逮捕された彼の
名前は知っていたが
曲はほとんどよく知らない。

この機会に
著作権や
著作隣接権についての
認識が拡がってくれればいいと思うが。

そうすれば
楽譜をコピーする時に
ちょっと何かを思うだろうし
CDを複製する時に
何か考えるであろう。

価値あるものには
ちゃんと対価を支払うべきである。

そうすれば
もう少し
暮らしやすい世の中になるのかも知れない。

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