2008/12/28

今日は
いくつかの映像を見た。

サイトウキネン@小澤征爾

N.ケネディ

その他・・・

サイトウキネンも
ケネディも
ギリギリのところを攻めている。

もう0.5ミリ出ると
崩壊するという。

どこまで攻めていいのか
どこまでいったら崩壊するのか

その限界を試すのが
練習での醍醐味でもある。

しかしなかなか本番でそこまで
攻めることが出来ないのが本番でもある。

我を失い
ギリギリまで
攻めきった時に
それほど爽快なものはない。

攻める一方で
確実にそれを支える
冷静な目が必要である。
それがあってこそ
多少、崩壊しても
全体として崩壊しないのである。

今日聴いた演奏も
よくぞここまで攻めきったというような
「やけくそ」の演奏と
その一方で冷静に支えている上で成り立っている。

この関係というのは
決してどちらかが守って
どちらかがどうというのではない。

そうなった時はたださめた
冷ややかな安全運転なのであり
ギリギリを渡る緊張感というのは
生まれない。

誰かが「伴奏」になった瞬間
このギリギリの
バランス関係は
崩れてしまうのだ。

この「崩れる」

「崩壊」は
似て非なるものである。

崩壊の直前の
あの感覚は
麻薬の香りに似ている。
一度味わうと忘れることの出来ない。
あの感覚こそ
まさに私の求めるところである。

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