2009/01/10
ふろはいる
久々だなぁ・・・。

昨日、カルロス・クライバーの
演奏を聴いて当時の記憶がよみがえってきた。

中2最後の春休み
三善晃の響紋を聴いた。

そして中3の5月に来日した
カルロス・クライバーの演奏は
FMでもおそらく聴いており
テレビの放映は8月となっている。
いずれも’86年の演奏。
この短い数ヶ月の間に
私の人生を変えた
演奏と曲に出会うなんて。

この頃はまだ
音楽の道へ進むとは
思っていなかった。

ただその夏に
一人旅した時に
たまたまは行ったヤマハで
和声の本やらなんやら買って
いくつか持って行ったスコアと
合わせ道中勉強したりしてた
事を見るとどこかに
「作曲」というものが
芽生えていたのかも知れない。
私はそもそも
学区外でオーケストラ部があり
そこそこ音楽系大学にも進学している
H高校か、学区内トップのK高校を
目指していた。

塾の模試で
希望校を書いて
合格率が出るようなのがあったので
そこに桐朋やら国立音大やら書いて
どんなもんか見て遊んでいたが。
でも知っていた
そこには絶対入れないことを。
そもそも私は
音楽が好きと言うだけで
リコーダー以外の楽器をやった事がない。
そしてソルフェージュや聴音も全く知らない。

試験には当然実技とソルフェージュ・聴音がある。

いくら成績がよくったって入れないのだ。
そんなこんなしている時
音楽の先生が
そんなに好きなら
こういう学校があると
弥栄東高校の学校案内を持ってきてくれた。
音楽コースがあり
そこは普通科で
試験は普通の試験のみ。

そして、2~3年には
音楽系の授業が10時間くらいあり
実技の授業はないものの
音楽大学へ行くための
ソルフェージュ・聴音や
楽典その他まで教えてもらえるのだ。

私はすぐに飛びつき
この学校への進学を決めた。
成績的には他の2校よりも
全然楽であった。

そして、
その学校へ行くのなら
ピアノくらい弾けた方がいいとの
先生からの助言で習い始めることにした。

中3の10月終わり頃。
みんなが受験勉強に必死になり
みんなが習い事を辞める頃
私はピアノを習い始める。

近くのカワイ音楽教室。

それにしても
家でピアノを弾くのがいやだった。

中3のいろんなものが恥ずかしい時期に
子供向けのでっかい五線紙に書かれた
曲を練習しないといけないのだ。

ドソミソドソミソって・・・
何で子供向け教材はみんなああなんだろう。

今でこそ大人のための
音楽教室があったりするので
そんなことはないだろうが・・・。
その頃は大人でも子供向けの
かわいい絵の書いている教材を使うしかなかった。

私は自衛策を採った!?
オーボエの名曲
チマローザのオーボエソナタ。
その原曲となった曲が
32のソナタ。
その楽譜を見つけた。
4,600円@@;
中学生にはめちゃくちゃ高い金額。
なけなしの小遣いをはたいて買った。
そして、必死に練習する。
当時超絶技巧に思えたが
今見てみると
なんと簡単なことか。
この曲を独り何時間も
さらったのが
中学から高校にかけての
ピアノを初めてすぐの思い出。
受験までに
学校見に行ってらっしゃいと
音楽の先生に言われていた。
私は冬休みの1月
買ってもらったばかりの自転車をこいで
20数キロ離れた高校へ・・・
見に行った
外から・・・
思えば見に行く意味が違う。。。
めちゃくちゃ遠かった。
そして受験。
音楽コースの受験者は47人
たしか。
志願者は同じ教室で試験なので
どんな人がいるか分かる。

男二人
残りみんな女子。。。

そして全員合格した。

合格祝いに買ってもらったのは
オーボエ。
念願の。
これでリコーダーで
スコア見ながらオーボエパートを
吹くこともなくなる!?
そして
ピアノを初めて数ヶ月。
オーボエも買ったばっかで独学。

いよいよ本格的に音楽が勉強できると
夢と希望に満ちあふれ意気揚々と
高校入学した私の希望は
カルチャーショックとなって
すべて打ち砕かれる。。。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください