2009/04/10

和声の勉強を始めてから
半年ほどで和声の教科書の1巻を終え、
「私の教えられるのはここまで」
という事で、新しい先生を
紹介してもらう事になった。
その先生の同級生・先輩・後輩や
その知り合いなど。
候補には三名ほど名前が挙がっていた。
「あんまり偉くなると○×△□※☆◇で
□○△×★※だから、中堅でしっかり
実力があって曲を書いていて・・・云々」

そんな事で紹介してもらったのが
洗足で講師をしている作曲家の先生。

初めて電話した時の恐怖はいまだに忘れられない。
私の先生がその先生と電話で話していて
親がどういう考えなのかを知りたいようなので
親から電話をかけた方が良いと言われた。
そして親が電話をかけると開口一番
「本人に変わってください」

「親から掛けるよう言われたので・・・」
先生
「一回この電話切るので、あなたから掛け直しなさい」

 (((((((・・;)

・・;

。。。。

(*_*)

(゜;)

(×_×)

(((((((・・;)

そして、掛け直すと
今度は優しく電話に出て
時間と場所を打ち合わせ
会ってお話しする事になりました。

先生
「その時に私は君に作曲を辞めるよう説得するから、その反論を考えてきなさい」

(◎-◎;)

私は毎日悩みました。
この恐ろしい先生を
どう説得して私がいかに
作曲の勉強をしたいかを説明し
弟子にしてもらうか・・・。
この先生に断られたら後は
自分で探してもらうしかない
なんて脅されてたりもして。。。

どうも、今も昔もそうなのだが
私の中には希望的観測というものがない。

希望的観測というか
その上を行っているのである!?
「こうなればいいなぁ」とか
「こうなりたい」とか
「もしかしたらこうなれるかも」
とか・・・じゃなく

「こうなる!」
しかないのである。

夢というのは叶うと良いなぁ~ってものではなく
叶えるものであり
叶えなければいけないものなのである。

だから、もしダメだったら
なんて事は考える余地すらないのだ。

作曲家になる事は
もう決まっているのに!?
何故、その途中の階段で
こうも立ち止まらされる事が多いのか
と・・・。

私は先生を説得する言葉を一生懸命考えた。

そして、その当日

そこは
鶴見川を渡り
多摩川を渡り
隅田川を渡り
荒川を渡り
江戸川を渡った
小高いある大本山のすぐそば。

恐怖におののきながら
私はその先生の前に
鞄の中から
それまで書きためてきた
五線紙の山を
ドサッと
差し出した。

先生はその楽譜の山に
ササッと目を通すと
「わかった」と言い
次のレッスンの
打ち合わせとなった。

これが、私の作曲の師との出会いである。

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