2012/02/26
ベルリン・ドイツ・オペラに
トリスタンとイゾルデを聴きに行ってきました。

シュターツオパーの
バレンボイム指揮
ワルトラウト・マイヤーが
イゾルデを歌う
公演は早々とチケットを取っていたのですが
ドイチェオパーはどうするか悩んでいましたけど
聴きに行けそうなのでチケットを買いました。

何故かあまり売れていないようで
ひと月前なのに結構空いていて
50ユーロの席を買ったら
1階の真ん中のスゴイ良いところでした。

こんな良い席に座るのはじめてかも

おけピットは全く見えず指揮者も全然見えませんでしたが
時々指揮棒の見えるルニクルスは左利きなんですね~。

さて、トリスタンを歌ったペータ・ザイフェルト
まだ歌っていたのですね~。
イゾルデを歌った
ペトラ・マリア・シュニッツァーというソプラノは
繊細できれいですけどちょっと高音がちょっと不満。
急遽交代したブランゲーネはなかなかブランゲーネらしくって好きです。
その他クルベナールもマルケ王も
今までベルリンで見たオペラの中でも
みんなレベルが高かったと思います。
リングの時はなんかばらつきを感じていたので。
ペーター・マウスとかクレメンス・ビーバーとか
以前日本で聞いた人たちもまだまだ現役なんですね。

なんかあっという間の5時間でした。
やっぱりトリスタン好きだな~。
ちょっとオーケストラの乱れが気にならなくもないですが。

舞台は近代的なきれいな舞台でした。
でも、
演出が・・・
演奏や音楽、ストーリーと関係ないところで
いろんな人がいろんな事をやっているんです。
なんか舟の乗組員が甲板ぞうきんがけしていたり
裸の女性が出て来たり
裸の男性も出て来て土ほってるし
喪服を着た女性が花を持って置いていったり。
後ろの部屋で女性が洗濯していたり
心理劇みたいなのを見せるんだけど
「意図」とか「コンセプト」とか「解釈」
とか目の前に押しつけられるのだけど、
それを歌っている人と別の場所でやるから
気が散って音楽に集中できない。
そして常にどっかしら関係ない人が
関係ない事やってるんだよね
いろんなものの象徴なんでしょうし
演出家に聞けば全て説明してくれるのでしょうけど
言葉で説明できる事はそれだけだし、
見ていて感じられずに分からずに
演出家の言葉を聞くまで分からないってのは
演出としてどうなんだろう。
すごくとってつけた不自然なものに感じた。

なんかオーケストラの演奏会で
分かりやすいようにって
後ろに何かそれに関連する映像を流しているような
そんな印象を受けた。

こういうの今流行ってるんでしょうかね?
最後の部分でトリスタンとイゾルデは会えずに
イゾルデが来たときは棺桶があるとか
薬を飲む代わりに注射するとか
そういうのは読み替えみたいなのは
面白いと思うんだけど

どうもこういうのは目障りで
音楽にも歌って演技している歌手への集中も途切れて
散漫になるな。

舞台も歌手も良かっただけに
これだけはどうも。

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