2012/10/22
忘れないうちに書いておこう。
 
その時は
ただ淡々と
受け入れていたのだけれど
 
なんだか
みんなの前で
言葉に出した瞬間
いろんな事を思い出して
しまった。
 
前田治貴
彼が私の前に現れたのは
おそらく
1996年ころだろうか?
 
彼は私より6歳下だったと思う。
 
と言うことは
私がふたつ目の大学である
芸大3年の頃
彼は国学院大学に入学し
小野雅楽会へ通い始めたことになる。
 
ヤツは
笛を習っていた
そして
左舞も習っていた。
 
1997年10月
彼は寒川神社で
行われた
舞楽の演奏会で
萬歳楽を舞った。
 
私はそこで
還城楽を舞った。
 
雅楽を始めて
一年そこそこでの
抜擢でもあった。
 
 
ヤツは
くそ真面目の
ばかまじめで
私が間違ったことを言っても
絶対に逆らわなかった。
でも、私が間違った時に
顔を真っ赤にして
それは違うと
訴えていた
あの顔は忘れられない。
 
こんな
ばかみたいな
融通の利かない
くそ真面目なヤツが
音楽なんかやったって
決められたことをやるだけで
言われたことやってるだけじゃないかと
ただの兵隊のようにしか
最初は思っていなかったかも知れない。
 
いや、
でもそんな事はない
 
雅楽の世界に入って
カルチャーショックだった私にとって
小野雅楽会の中で
彼のような存在は大きかった。
「一緒に頑張ろう」
って言ったのは覚えている。
でも
彼が本気でやったら
私なんかかなわないな
って
本気で思った
最初の音楽家かも知れない。
 
雅楽を始めて
1年や2年で
何にもできないし
下手な笛吹いていたんだけど
 
でも
 
そう思った。
 
 
だから
彼に私の演奏会に
出演してもらった
 
ろくに吹けないのに
神楽笛持ってないのに
 
「其駒」
彼は吹いた
 
先生から笛
借りてきた
 
胡飲酒の序とか
 
彼は
ちゃんと吹いた
 
ちゃんとした
演奏会
 
 
1999年10月16日
 
私の地元で開催した
能舞台と
その回りの庭園で
開催した演奏会
 
手前が前田くん


大学4年の時だったのですね。
 
この頃から
私は
彼に対する
不穏な噂を聞いていた
 
国学院大学にある
神道系のサークルを
辞め
いろいろな人から
非難を浴びている
 
さらに自分で
雅楽のサークルを作った。
 
 
私はある先達に
「彼はすごいですよね?」
と言った時に
その人は
「でも彼はそのサークル辞めたからね、
(うちの会長もそこにいたし)
(神社関係ではそんな事したら終わりだね)」
と言っていた。
 
さらに大学内では
もといたサークルから
目の敵にされているという
噂も聞いた
「あんなヤツと関わるな」
あんなにまじめで
人に逆らうなんて
考えられないヤツが
 
でも、
それに対して
何か愚痴をこぼしたり
文句を言ったり
そんなものを聞いたことがない。
 
でも
ちょっと照れくさそうに
「雅楽のサークルつっくったんです」
って
それ以上は
教えてくれなかった。
何があったか聞いても。
 
彼が何も言わなくても
彼の強い意志だけは
私にも理解できた。
 
私は仕事上
そのサークル関係とも
良く関わることもあり
そんな噂も知っていたが
どちらの見方にもならず
敵にもならず
 
彼にも時々演奏の仕事を
頼み一緒に旅に出たりもした。
 
ある地方での仕事の時
彼は般若心経を全部覚えていると言い
一緒にいた僧侶の篳篥奏者を
驚かせたりしていた。
 
おそらく1999年
彼が大学4年の頃
良く一緒に仕事をしたのではないだろうか?
 
ヤツは
雅楽を続けるために
小野雅楽会で雅楽を続けるために
都内での就職先の神社を探していた。
 
彼が入ろうとして試験を受けた神社には
小野雅楽会の同僚も先輩も関係しており
紹介してもらえれば、
とも普通には思うのだが
くそ真面目な彼は
誰にも何も言わず
試験を受け落ちた
 
幸いにも決まった
就職先は
京都だった。
 
彼は東京の生まれで
家族も東京に居るので
じきに戻ってくることを祈った
 
 
早く帰って来なよと
当時は年賀状と
演奏会の案内くらいで
細々と連絡を取り合っていたのだが
 
数年経った頃
国学院大学の青葉雅楽会の
会長という方から
教えに来てほしいという依頼があった。
 
あっ
彼が作ったサークルだ!
でも、彼から依頼されたわけではなく
たまたま私を知ってお願いしたいと思った
当時の会長から連絡をもらった。
 
サークルを作ったと言っても
最初は2~3人
私が教えに行った当時も
10人もいなく
笙は2~3人
 
一方、前田くんが辞めたサークルは
歴史も長くOBからの支援も得て
私も教えに行ったことがある。
 
そんな小さな会が
先生を呼んでも
学生が普通に月謝を払えるわけがない。
でも、前田くんが作った会だから
僕は何とかしたい、
と思い
引き受けた。
 
当初は
行っても笙は1人か2人
土曜の忙しい他に仕事があるのに
 
2001年頃にはすでに青葉雅楽会に教えに行っているらしい。
 
笙しか先生がいないから
わかりもしない
篳篥や笛にも
アドヴァイスしたりして
 
あの頃は
結構きつかったな
 
そんなすぐ上手くなる人も
いないし
人数も少ないし
 
でも、良い勉強だった
 
そんなこんなしているうちに
演奏会で京都に行く機会ができた。
 
彼は伏見稲荷に奉職していたので
彼に会いに行くことにした。
 
打楽器とかを持っていったので
ちょっと彼にも手伝ってもらおうと
(言う理由をつけて)
でも
彼は二日も休暇を取ってくれた。
 
2003年6月14日
 
 


 
なんでこいつ
みんな目つぶってんだろう?
 
この時も
くそ真面目は
変わっておらず
笑わすのに苦労した。
 
どんなこと話したのか
よく覚えていないけど
 
 
この数年後くらいからか
各管3~4人
全体で10人ほどだった
青葉雅楽会は
当然変異を果たした
 
あれはいつ頃だろう?
 
全部で30人以上になったのだ
今では5~60人はいるのだろうか
笙だけでも10人位いる
 
あのつらく
しいたげられて
隅っこでやっていた
マイナーな会が
突如として
国学院大学の
一大サークルとなったのだ。
 
前田くんが辞めて
いじめられていた
サークルとも
肩を並べるどころか
それを越えるかも知れない
 
というか
雅楽なら青葉
と言われるような。
なんだか仕事も
いろいろやっているようだし
 
 
でもね
教えに行ってる
私からすると
(ってあんまり行ってないけど)
別にたいしたことないのよ
 
学校でちょっと
良い立場もらったからって
なんだよ
とも
思わなくはないけど。
 
 
教えに行って何年になるんだろう?
立派な会になって学園祭でも
演奏会をひらいて
 
 
一昨年から
学校行事として
観月祭をすると言う話を聞きました。
雅楽系のサークルや神道系で
雅楽をやっているサークル
神楽舞をやっているサークルなどなど
サークル関係なく。
 
その為に
舞を教えてほしいと
頼まれ
学校行事なのに
学校からはお金は出ずに
青葉雅楽会として
私を呼んで教わっていました。
 
その第1回も
私はよく知らないまま
終わったようです。
 
そして
去年の第2回は
私はドイツにいたため
全く関われなかったのですが
小野雅楽会が全面的に協力して
指導したようです。
 
 
そして
3回目が今年
10月20日
昨日行われました。
 

 
 
何でここにこんなに沢山人がいるんだろう
ってくらいたくさんの人が
聞きに来てくれていました。
 
私は7月頃から
右舞の納蘇利を教え
笙を教え
合奏も見て
かなりの回数通いました
 
ふざけんな~
 
 
何回キレかけたかわかりませんが
(というかキレていた)
 
本番をむかえました。
 
 
なんで裏方の指導とか
姿勢とか
専門外なんですけど
 
こんな事やってらんねぇ
と思いながら
結局最後まで
付き合いました。
 
何百回おんなじ事言わすんだよ
って
怒鳴っていたのに
 
こんなんで
本番できんかよ
って
思ってたけど
 
彼らは
ちゃんと
怒鳴る人がいなくっても
自分の道を見つけて
演奏していました
 
立派なものです
 
 
終わった後の
彼らの顔は
すがすがしいものでした
 
 
演奏後に大学が用意してくれた
懇親会では
何故か
私が
講評を述べる羽目になったので
ここで彼らの健闘を絶賛しても良かったのですが
 
私はどうしても前田治貴
の事を話したくなりました。
 
青葉雅楽会ができて
13年
 
どうにも小さかったサークルが
少しずつ努力を重ね大きくなり、
雅楽を一生懸命練習し、
そこから分裂した会も
いや
そんな事関係なく
国学院大学として
その他のサークルも一体となって
みんなで数ヶ月練習を重ね
学校がバックアップしてくれて
こんなにも多くの人が見てくれて
 
 
そうだ
来月
11月
 
京都行くんだ
 
前田くんに
久しぶりに会えるな
 
ヤツに報告しないと
 
青葉はこんなに立派になったし
青葉も他のサークルも関係なく
みんなで学校を挙げて雅楽の演奏会を
やったんだ
 
って
 
 
でも
彼は
2011年8月に
世を去っていました
 
そのことを
私はこの8月に知りました
 
何故か山に行って
道に迷って
滑落して
 
 
その時は
ショックではあったけど
その事実を受け止めただけで
とりわけ何の感情もありませんでした。
 
 
でも、
ただこの事実を
学校関係者や学生たちに
知らせないといけないという
思いだけでごく事務的に話していたはずが
何故か
みんなの前で
感極まってしまい
話し続けることができなくなってしまいました。
こんな醜態さらすなんて。
 
初めて
ヤツはしんじゃったんだって
実感した瞬間でした。
 
その時
初めて悲しくなりました
 
下手くそだけど
良い演奏会だったな
 
国学院大学は
皇學館とならんで
神道科のある大学です。
 
そこのお偉い先生方を前に
「みんな
神職になんかなら無くって良いから
雅楽の演奏家になろう」
って
ギャグを用意していたのに
それも言えぬまま
終わってしまいました。
 
しかも
美味しい料理と
お酒を前に
乾杯だけで
帰らないといけない
運命にありました。
 
 
今は
こんな
文章を書いている場合ではない
 
早く仕事をしよう
 
 
どっかの
別の
まーえだ が
毎日曲を書かないのは
作曲家じゃないと
吠え出すから

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