2016/05/02
人間、長い間

理不尽な中に居ると
それを理不尽と感じずに
普通と思い込むように
なるのかも知れない。
しかし
何が理不尽で
何が普通なのかは
その人次第なのかも知れない。
アメリカからならず者国家呼ばわりされた
北朝鮮も北朝鮮からしたら
西側諸国がならず者なのかも知れない。
なんとアホな事を書いているのかと
思う人もいるかも知れないけれども
どちらが良いかなんてのは
おそらく永遠にわからない事だと思う。
どちらも自分たちが普通で正しいと思っているからだ。
どちらの考えを持つかは
その人次第であって
どちらでも良いと思う
ただ問題は自分で生まれる国を選べないことだと思う。
ここまでは
今までテレビなどで得た情報を元に書いているので
実際のことをどうこう言うつもりはない。
少なくとも
私が幼少の頃から植えつけられてきた
西側諸国は自由で
共産圏は自由が無く
拘束され監視されている
という先入観は
それらの国や人々と出会うことで
変わっていった。
もちろん、そんな数日で
いろいろなことが解るわけはないのだが
少なくとも偏見はなくなっていると思う。
私はベルリンという
確かに西ベルリンと東ベルリンがあったが
東のど真ん中にあるベルリンに一年いた。
もちろん壁が崩れ東西統一して20年以上
そのような面影はほとんど無いのだが
私は旧東の人や街に行くたびに
ホッと安心して和やかな気分になるのだった。
とても親切に外国人でも話しかけてきてくれ
いろいろ深い話ができるのは
旧東の人の方が圧倒的に多かった。
ライプツィヒのオペラハウスで
ワーグナーの「バルシファル」を聴いた時
それは素晴らしい舞台であった。
それなのに、しかし、
客席はガラガラ
2割くらいしか入っていなかったのではないだろうか?
私のとなりには老夫婦が座っていた。
おだやかな二人は私に話しかけた
いや、私から話しかけたのかも知れない。
私は尋ねた
「なんでこんなにガラガラなのでしょう?」
夫人は
「以前はいつも満席で
5ユーロ(たしか)くらいで聞けた」
でも東西統一してからずっとこんな。
ほかでもなんかこのての話を聞いたな
昔はのんびりしてたって
何が良いのかなんて
周りからは見えないんだなぁ
話しは遠回りしてきましたが
その逆に
理不尽な中でそれを我慢していたところから
解き放たれて
普通を見つけた人間にとって
ちょっとでも
その理不尽の片鱗を見ると
気が狂いそうなほど
動揺して取り乱しそうになる
20年もの理不尽を
我慢して
やっと普通を見つけた身としては
全ての理不尽を払拭して
どんなに忙しくても
心の安定を保っているが
砂粒ほどの理不尽のかけらを見つけると
もう
心の安定は消え去り
取り乱し発狂しそうになる。

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