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2016/08/31
海外や

いつも一緒に演奏していない演奏家と
演奏する場合
本番前に
合わせることができる
時間は限られている。
今回も
本番3日前に着いて
2日練習して
協奏曲を演奏しなければならない。
こういうのはヨーロッパなどでは
ある意味あたりまえなのかも知れないが
私にとってはかなりきつい。
今回演奏する曲は
構想を始めて早数ヶ月
やっと書き終わったのだけれど
普通は作曲家は
ここで後は演奏家に任せて
いや任せられなくて
リハーサルでああだこうだ
もがき苦しむのだろうが
私の場合、さらに自分で演奏しなければならない。
この曲は
笙と弦楽オーケストラの作品
笙の最大限の可能性を発揮しつつ
オーケストラと対峙する
という曲を求めた。
笙はこれ以上できるかな
ってぎりぎりのところをいきつつ
以前に
一週間練習して出来ない曲は
一年練習しても演奏できない
って書いた気がするが
本番まで一ヶ月練習しても間に合わないかも知れない
ギリギリのところを書いたつもりなのだが
書き終わったのは本番20日前
出発するまで2週間
間に合うかどうか心配だったけど
蓋を開けてみれば意外にも
5日でほぼ出来るようになり
1週間経った今では
ほぼ出来るようになり
ちょっと緩み気味である。
そんな事を考えると
そろそろ合わせて欲しいのだが
本番2~3日前に初めて合わせて
すぐに調整できるかどうか
理想的なのは
1週間前くらいにとりあえず
一度合わせて本番前に詰めるのがいいのだが
それにしても演奏可能かどうかのギリギリのライン
今回はそこを目指したのだが
意外と出来てしまった。
といってもこれは笙という楽器にとっては
今までない奏法というか技巧なのだが
超絶技巧と演奏不可能との境目はなんだろうと
考えていた。
16分音や32分音符がいくら続いても
ある程度の規則性や法則性、周期があれば
それはどんなに速くとも演奏はそれほど難しくない。
それが不規則に続く場合に
演奏家がどれだけ忍耐強く練習し
可能にするかの問題かとも思う。
ある意味それが出来ると演奏家に神事てもらえるかどうかが
ひとつの分かれ道にも思う。
ちょっと気が付いたのは
そんな不可能な練習するのもばかばかしいと思うか
何とかしようかと思うか
その超絶技巧をやっている間
というのは
息を止めているようなもので
どれだけ息を止めていられるか
その長さが超絶技巧の続けられる長さなのだと思う。
息を止めたら
また吸って
吸ったら吐く
それをひたすら止め続けたり
吸い続けるような楽譜は
きっと演奏不可能なのだろうと。
私が息を止められる時間は
まぁ、これくらいだ。
でも、もっと止められる人がいるかも知れないし
止められなくても
そこに労力をつぎ込める人がいるのかも知れない。

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