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2020/01/04

12年前には「10年」ってブログみっつも書いてるけど(笑)

10年

10年

10年

10年おきくらいに節目を迎えるのかなぁ?

 

2008年のリサイタルを終わって

これだけのすばらしい曲を作曲家が笙のため・私のために書いてくれたのなら、

私は笙ひとつ持って海外に出て行けると思った。

そしてそれまで9年近く在籍した日本音楽集団に別れを告げた。

ドイツに行くのならドイツ語を勉強しないとと始めたのが2009年の秋。

周りで一緒に勉強している人がどんどんドイツへ行くのを目の当たりにして

耐えられなくなって

ミュンヘンの演奏会のチケットを買って

ドイツ行きの航空券を予約したのが

2010年の1月だった。

ベルリンにいる友人をただ押し掛けるためだけの旅の予定だったのだが

行けば行ったで色々な人に会うことができて

2011年からの文化庁文化交流使の指名を受けるきっかけもこの時であった。

 

待っていても、誰かが何かしてくれる訳ではない。

そんなに行動するのが得意でない私としては決死の暴挙でもあった。

 

ツテもほとんど無かった私にとって、ヨーロッパで1年活動する事は多くの困難があった。

特に最初の半年くらいは殆ど何も無いに等しい、ただ時間が過ぎて行く日々で本当に苦しかったが、

帰る直前には入りきらないほどの演奏会をする事ができた。

 

1年はやりたい事をやるには短すぎた。

日本に帰ってからもそのできなかった事を実現するために色々な事をした。

雅楽の本格的な演奏をヨーロッパで聞かせたい夢は、なんども実現することができた。

また、現代音楽を演奏したり、作曲家と一緒に仕事をしたり、

以前では容易で無かったことも、ゆっくりではあるが実現している。

 

自分が思い描いていた「活躍」とはだいぶ違うけれど。

10年前には想像もできなかった事が出来る様になっている様な気がする。

評価してくれる人はちゃんといるけれど

そうでない人もいる。

だからもうそういうところにしがみついていないで、

そろそろ自分を認めてくれる世界への扉を開かないといけないのかなぁと。

 

やりたい事をやりたいだけやって

評価された後には

戻れない世界もある。

だからといって進むこともまた大変なことなのだが。

 

20年以上遠回りをしてきたけれど

そろそろ作曲家に戻れるかなぁ

28年前の大学2年の時に辞める!と言って

洗足の作曲専攻を飛び出し声楽専攻に転専攻して

27年前から雅楽を始めたんだけど

28年前に戻って作曲家として一からやり直そうかなぁ。

コツコツとアルバイトしながら曲を書き続けて。

その方が精神的に健康になれる気がする。

大学院とか行くのも良いな。

ドイツの大学とか。

28年前は作曲家として生きていけるだけの能力も技術もなかったけど

やっとスタートラインに立てるような気がする。

まだまだ作曲家としては若い方だから

ここでこういう経験を積めたのはとても大きいと思う。

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