Category:
2019/10/10

地球の裏側に位置するパラグアイ。
そんなパラグアイについて日本人はほとんどイメージできる事はないだろう。知っているのはせいぜい数年前のサッカーのゴールキーパーのチラベルトくらいだろうか?

南米大陸の中央に位置する。日本との時差は12時間。
東西をアルゼンチンとブラジルに囲まれ北はボリビアに接している。

そんな遠い国の歴史など全く知る由もなかった。ましてや150年前に成人男性の8割を失う戦争を行なっていたなど。

今年3月にパラグアイでの笙と弦楽オーケストラとの作品を演奏し、帰国ししばらくたった4月初め、ドイツ人を通してメールが届いた。

「3月1日の演奏会を聞いた、そして深く感動した。パラグアイの歴史的題材で20〜30分の作品を作る事に興味はあるか?」

と言った内容のメールが届いた。

 

1864〜1870年までパラグアイはブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの三国同盟と戦争を行った。
この戦争でパラグアイは男性の8割を失い、国土の4分の1も失ったという。
首都アスンシオンが占領された後も戦争は続き、1870年3月1日当時大統領のソラノ・ロペスが殺害されるまで続いた。

Acosta Ñuはアスンシオン近郊の街。
1869年8月16日、数千人の子供達が参戦し犠牲になった「アコスタニュの戦い」が行われる。

 

「バリトンと子供と女性合唱、そして前回と同じ様に弦楽オーケストラ、そして打楽器。テキストは4月末までにできる。」

私はすぐさま返信した。オーケストラはフルオーケストラで書きたいと。

それからすぐにパラグアイの歴史とパラグアイ戦争について調べ始めた。

台本は全てスペイン語。全部で11章まである長大なもの。各章は短いといえとても20〜30分で収まるような内容ではなかった。

スペイン語は全く解らないのでまずは全てGoogle翻訳でドイツ語に。どうしても意味の解らない部分は連絡をもらったドイツ人に尋ねる。

そう、そんなにドイツ語がたんのうでもない私は、ドイツ人を介して連絡を取り合い、スペイン語の複雑なテキストをドイツ語で理解しないといけないという難しい状況にあった。

そこで紹介していただいたのがパラグアイのアルパ奏者であるルシアさん。パラグアイに住んだ事もある日本人でテキストの細かいニュアンスや解釈を教えてもらった。そして全文を読んでもらい 発音・アクセント、そして言葉のリズムなど録音し、何度も聞き返しながら作曲を進めた。

6月から7月に私がベルリンを訪れ、演奏会を行った時には、台本を書いたMaritza NÚÑEZさんとともに聞きに来て、この戦争についてやテキストの解釈など数時間に渡り話を聞く機会を得た。

アコスタ・ニュの戦いは1869年8月16日。パラグアイ側3,500人が同盟軍20,000人を相手に戦い1日でほぼ全滅。パラグアイにはもう成人兵士はおらず、ほとんどが9〜15歳の少年兵であったという。中にもっと若い子供もいたらしい。

8月16日はこの出来事からパラグアイでは子供の日になっている。

バリトンは語り部の役を担い、年老いた帰還兵でもある。
子供の合唱は子供たち
女性合唱は母親や地域の住民を表す。

Text von Maritza NÚÑEZ

1869年8月16日の夜明け前から物語は始まる。

祖国をまもる為に勇敢に振る舞う少年たち。
しかし武器もなく棒切れを銃に見せかけたり
少年は武器を背負うことすら困難なほど小さかったりする。
年老いた帰還兵や母親達は、子供達に戦争というものがどう言うものか知らせ、思いとどまるよう諭すが、すでに子供達の士気を止める事はできない。
そして日が傾く17時頃には全ての戦いは終わりを告げ、数千人の子供達は斬首される。
そして子供達の魂はパラグアイの神々の元に帰り、新たなパラグアイが生まれる。

そう、今年2019年はそのアコスタ・ニュの戦いから150年。本当ならその150年目の8月16日にこの曲の上演を行いたかったのであろう。
しかし5月から作曲を始め7月に楽譜を完成させるのは不可能に近く。9月でどうかと言われたが演奏会などで予定が合わず、11月27日に。このくらいあれば何とか時間はあるかなぁと。

そして今年3月1日に笙と弦楽オーケストラの作品を演奏したが、その3月1日はパラグアイ戦争の終わった日であり、当時の大統領であったフランシスコ・ソラノ・ロペスの149回目の命日であった。そして演奏した曲のタイトルがRequiem III《鎮魂協奏曲》。この日は英雄の日の祭日だったようだ。そんな事は全く知らず演奏した訳だが。

そしてこの話を私に持ちかけたのミグエル・ソラノ・ロペス氏。そうその大統領の曾孫であり、駐日パラグアイ大使を務めた。芸術をこよなく愛する氏から、子供達とオーケストラへの贈り物だと言う。

いくつもの偶然が重なり、縁そして運命的なものを感じられる出来事の数々。

Requiemの1は高校生の頃に修学旅行で広島を訪れた後に書いた鎮魂歌。オーケストラと合唱の作品に作り上げたい夢はずっと持ち続け、途中までオーケストラの楽譜も書いている。

ロペス氏はこの曲を毎年8月16日に演奏していきたいと言っている。初演が始まりであって終わりではない。この曲がパラグアイで生き続けていってくれると良いな

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください