2019/03/26

3月24日の演奏会
白河戊辰戦争150周年記念事業
楽劇「影向(ようごう)のボレロ
のために21日昼から会場に入って
リハーサルが始まります。

昨年5月に多賀城で行われた
光の多面体
をプロデュースしていた志賀野さんから
今回の舞台にも出て欲しいとの依頼がありました。

多賀城では雅楽の曲を10分ほど。

今回も京都の場面で雅楽を10分ほど
という依頼でまた同じような感じで
演奏すればよいのだなと。

それが急展開するのが9月。

台本を何となく読んでいたので
松下功さんの作品をいろいろと演奏するのは知っていたのですが
その松下さんが9月16日に急逝されてしまいました。

それでも松下さんのある曲を劇中に使うのだろうから
くらいに考えていましたが、実は新たに作る作品がほとんどだったらしく・・・。

そこで何と川島素晴さんが指揮と作曲の代役で入ることになったと聞きました。

川島さんの《手遊び十七孔》は2008年に初演して以来、何度も演奏してますし
10月にもリサイタルで演奏するために連絡を取り合っていました。
そのリサイタルの連絡の途中に
別件で・・・実は・・・という感じで連絡を受けました。
私がいるなら雅楽の場面の後に笙を入れたオーケストラの曲を書きたいと。
ほうほう、彼が書いてオーケストラと共演できる
これは面白いことになるな、と思っていました。

そしてリサイタルで彼の作品を演奏した後、
せっかくだから代わりにオーケストラの5分ほどの部分書かない?
と提案してくれたのです。(一応作曲家だし・・・)

こんなチャンスはない
今までもオーケストラの曲書いたことはあるけど
もう紙くずになっている。(いまのところ)
あんなに時間かけて書いたのに。
このチャンスを逃すわけにはいかない

即答で「やりますやります、絶対やります」

と答えられる状況には

なかったのです・・・。

というのも中南米ツアー
直前まで出掛けていて
その準備などでとてもではないけど書く時間が無い
そして書いても練習する時間が無い。

でもこのチャンスを逃すわけにはいかない

リサイタルが終わって少し休んだ後取り組み始めました。

しかし、なかなか進まず

というか
中南米で演奏する笙と弦楽オーケストラのための協奏曲が
どうしても流れてきて、違う曲を書こうとしても同じになってしまう。

リサイタルでも笙のソロを書いていますし。

悩んだあげく、

そうだ

その笙と弦楽オーケストラのための協奏曲を
管と打をいれてオーケストレーションすれば良いのだと
思いつきました。

そして雅楽のところにもオーケストラを重ねて
次の場面に繋がるように。

そして中南米へ出発する直前の2月初旬に
楽譜を書き終え、送り、
中南米へ出発するする事ができたのでした。

帰国してからしばらく疲れすぎて休んでいましたが
ちょうど中南米でもこの曲は演奏してきたので、
白河へ行く直前から練習を再開。

この楽劇《影向(ようごう)のボレロ》ですが
戊辰戦争でともに戦った相手の長州に白河踊りが伝えられ、
それがこの楽劇の大きなテーマともなっている。

その白河踊りを現在も伝えている山口県の地図を見ると、
なんと父の実家のすぐそばにもあるではないか。

とそんな偶然なご縁の舞台に立たせて貰える事をしみじみと感じていたのだが・・・
あれ?そういえば中学生の頃白河へ行った。

あの頃はまだ東北道がだいぶ北の方までしか開通しておらず
都内を延々と抜け遠い彼方の地だった。
そこへ母方の祖母の墓参りへ行ったのだ。
祖母は亡くなる前の数年間、私の実家に住んでいた。
すっかり母方の親戚とは疎遠となってしまったので忘れていたが。
母親は生まれが東京の生粋の江戸っ子かと思っていたが、
母親の父、つまり私の祖父は(私が生まれた頃にはすでに他界していた)白河の出身であることが判明した。

この劇に登場する山口と白河に親戚を持つシンイチと同じ境遇なのだ。

その白河踊りのお囃子を聞いて
私の作品の中にもところどころ組み込んでいった。

私の笙と弦楽オーケストラのための協奏曲は
副題が「Requiem III 鎮魂協奏曲」
この題材ともぴったり合致する題名なのだが
取り入れた2楽章は戦争の音楽。
その戦いのイメージの音楽を
白河踊りのリズムとメーロディで
かき消してしまおうというのがこの作曲(編曲)のコンセプト。

そして京都の冬の場面では
笙と篳篥で雅楽の「武徳楽」を演奏しながら
オーケストラが重なっていく、次の曲へ橋渡しをするという構成にした。

21日昼、会場へ到着。
FaceBookなどで
もの凄い立派な舞台装置や照明をみていたが
実際にみてみると壮観
 

(あれ?お城とか櫓とか門とかの写真が無いな・・・)

今回は3時間の楽劇をこの僅かの時間で仕上げるため
音楽の練習時間もあまりない。
私の部分も10分ほどなので当然練習時間は少ない。
まずは午後に2度ほど通す。

演奏していると他がどうなっているのか
わからないのだけど、
でもちゃんと止まることもなく最後まで。
通すことで修正していきながらの練習。

夕方からの合わせも全体の通しなので
1度通して終わるというような感じ。
でも確実にいろいろなところが整っていく。

練習が終わってホテルに着いたのが22時過ぎ。
それから日本舞踊の中川さんや
振付の中村さん
メイクの方々などと飲みに行く。
途中で川島さんも合流。
閉店の1時を過ぎて追い出されるまで。。。

ここでいろいろな人たちといろいろな話をして
改めてこの舞台の思い入れなどを聞いてモチュベーションが上がります。

翌日は昼からのオケとの合わせと夜は通し稽古。

白河の祖母の墓は田島という地名と五箇地区という地名しか手がかりがなく
お寺の名前もわからなかったのですが、
グーグルマップで地名を調べその辺りのお寺を調べたら1つしかなく。
そして山の斜面の見晴らしの良いお墓だったという母の言葉を頼りに
グーグルマップの写真を見ると確かに斜面に沿ってお墓が。
ここで間違いないと思いお寺に電話を掛けてみました。
(数週間悩み掛けたのは出発前日ですが。。。)

すると間違いなくそこの祖母の家の墓があることがわかりました。

いけるチャンスは22日の午後だけ。

この話をすると快く午後のリハーサルを最初にしてくれました。

2日目というのもあって、
オーケストラの人たちが少しずつ話しかけてきてくれます。

曲の中でどうしても欲しい音がありました。
ファゴットの最低音はbなのですが
その半音下のaを出す事が可能というような事がどこかに書いてました。

で、それを質問したら、マーラーとかで出てくるのは筒を継ぎ足していると。

作ってくれました

曲を書いていると

「こんなのできない」
とか
「どうやったらできるか、どうしてほしいのか」
とか聞かれる事が多いのだけど
(こっちは演奏しないんだから演奏する人の方がアイデアあるでしょう・・・とは言わず)

今回はこれだけでなくとても前向きにどうしたらできるかを考えてくれる人たちばがりで、作曲家としてはその様に作品に向き合ってくれる人たちに演奏してもらえ何とも嬉しい限りでした。

そして指揮の川島素晴さんも
ひとつひとつのフレーズがどういう意味を持つのか
しっかり理解していて、説明してくれて、指揮して
何も言うことがない充実した時間でした。

そしてさらに改良版の筒。

半音下げるだけでこれだけの長さが必要です。
長さによって音程が変わるので正確な位置を記しておく必要があります。
最初は線を引いていたのですが、目立つし、
黒いテープでストッパーになるように工夫してくれました。
これがないと下手すると中まで入って取れなくなってしまうので一石二鳥。

こんな出来事と昨日の練習と夜の飲みでしっかり気合いの入っている私は
リハーサルも絶好調。

その勢いで・・・駅前で自転車を借り

意気揚々と8キロ先の清光時へと突っ走ります。

その日は前日の暖かさからうって変わって
強風吹き荒れる荒れた1日。

台風並の強風吹き荒れる中
追い風屋や下り坂で絶好調で30分
お寺に着きました。

30年前、おそらく中学生の頃に訪れた時の記憶はほとんどありません。
ただ親戚の家に行って、或いはお店だろうか?
お昼を食べた記憶くらい。
人見知りな私はずっと正座で座って
あまり食べ物にも箸を付けることもできず。
楽にして良いのよ、とか
どうぞ、召し上がれ
などと親戚に気を遣われながら時間を過ごしていたことを記憶している。
そして、東北道はそれほど距離がないのだが、
そこを降りてから都内を抜けて横浜まで帰るのが
何と遠かったのだろうという記憶ぐらいしかない。

そして、何度か母が話していた
山の斜面の見晴らしところの一番前にお墓があるという事。

その通り、墓地の入口の
一番良い場所にありました。

住職に聞いても何故その一番良い場所にあるのかは分からないと。
おそらくは相当の地位のあった家なのではないかと。。。

祖母はなの墓碑はしっかりありました。
そして隣には真新しい叔父の名。
(いろいろな事情があり疎遠となっていたのです。)
ちょうど1年。これも何かの縁なのでしょうか?

それにしても美しい戒名が並んでいます。

 そして、しみじみとご縁を噛みしめつつ

17時からのリハーサルへ間に合うように・・・

向かい風20メートル
時々突風
自転車のギアはなく

強風にあおられ
前進するのも難しく
むしろ押して歩いた方が良いくらいではと思うほどの
向かい風を受け
時々横風で横の田んぼに落ちそうになりつつ
道路側にあおられたらトラックにひかれて死ぬ恐怖に怯えつつ
そうなんしかけながらも白河駅までたどり着くことができました。。。

疲れ切って
(もうこんな事二度としません・・・。)

そして夜のリハーサル。

出番は始まって30分ほどで1時間後には全て終わり。
あと2時間待っていなければ全部終わらないのですが
先に失礼。。。

お弁当もいただいたので
コンビニでビールでも買って部屋で食べようと

思っていて

コンビニへ

向かうと

正面に

焼鳥屋の

縄のれんが・・・

負けてはいけないと

コンビニの方向へ

散歩歩いたところで

しっかりと

焼鳥屋の扉に吸い込まれました。

ちょっといっぱいと思っていたのが

途中からいろいろ合流し

19時前に私だけだったお店がいっぱいに。

隣にはトランペットの方が来て

まだ話したこともなかったけど話しかけ

いろいろ教えてもらって

23時閉店

追い出されてもなかなか帰らず・・・

 

徐々にいろいろな人と仲良くなり
気分良く3日目の・・・
練習ではない。。。
これは公開ゲネプロ。
本番と同じにやって、お客さんもいる。

昨日の自転車で疲れ切っていたけど
ここは気合いで絶好調
ここまで来ると出来なかったところや
聞こえなかった音がどんどん聞こえてきて
「完璧」
と心の中で叫んだ瞬間

。。。

ぼろぼろになりました。。。

でもそこまでは完璧に行っていたので
あともうひと息。

そしてその夜は・・・
19時前から店を追い出される1時まで・・・。。。

そんな前日の不安を抱えたまま

当日はもう心配なところをオケと合わせることもできません。
少し早めに入って2時間ほど必死に練習。

そして14時開演です。

オーケストラは今までになく完璧に
しかも川島さんの指揮の元、熱く激しく進んでいく

おーすばらしい
よしオレもだ

っと勢い込んで・・・

。。。

そうだ、まだ出てきたばっかりでエンジン掛かってないんだ。
いや、確かに準備して出てきてるけど

裏での練習と
舞台での演奏と全く違う

1曲だけ出ていって 5分程の超絶技巧の曲を演奏するって
本当に難しい。

私は気合いだけは充分でも
途中崩壊しました。。。

今回は敗北感でうちひしがれていたけど
録音を聞いてみると
とっても良い演奏で
オーケストラも思った通りに鳴っていて
そうだこの曲書いたのは私だ ソリスト以外はとてもすばらしかった
ってことで立ち直りました。

作曲家としては感無量
ソリストとしては敗北

でもちゃんと準備して
やりたい事やって
良い音楽作れた

って事で納得します。

そんな訳で終わったあと
篳篥の三浦くんと
振付の中村明日香さん

顔が死んでるな・・・。


太鼓の林英哲さんと

打楽器チーム

ファゴットチーム
 

噺家の春風亭昇羊さんと
日舞の中川さんと
白河市長

その様にして
白河での演奏は終わりました。

終わりよければすべてよし

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