中南米ツアーへ
2月15日から3月7日までの三週間にわたる中南米公演に出発です。
1℃の日本から33℃のニカラグアの首都マナグアへ。
そしてその後も標高2,800メートルのエクアドルの首都キト。
ペルーの首都リマは標高0メートル。南半球なので夏です。
ボリビアの首都ラパスは標高3,800メートル。
そしてパラグアイの首都アスンシオンは0メートルで真夏で40℃近くなるそうです。
だんだん南に下って行って時差も3時間進み。
パラグアイからカリフォルニア州サンタバーバラへは5時間戻ります。。。
地図上で見ると綺麗に上から下に降りていって
戻ってくるのですが・・・。
こんな過酷な日程をと思うのですが。。。
飛行機の便や経路、演奏会の日程など考慮すると
これしかなかったのです。
今回の私の1番の目的は
拙作《鎮魂協奏曲》笙と弦楽オーケストラのための
を全曲初演すること。
2016年にロシアのクラスノヤノスク音楽祭で2楽章までは演奏されたのですが
完成が遅くなってしまい3楽章は演奏してもらえませんでした。
この曲の全曲初演を求めて執念でつかみ取ったツアーです。
そんな意気揚々と組んだプログラムですが出発前はやることが多すぎた上に
リサイタルの無理がたたって頸のヘルニアに。
身体と相談しながらの練習になってしまいました。
そしてやっと出発まで漕ぎ着けました。
今回は荷物が多い。
6ヵ国を周り、電圧も違うし
楽器は3管必要で、楽譜も沢山。
朝6時に家を出て、横浜から6:30発成田行きのリムジンバス。
8時頃には成田へ着きチェックイン。
ひとり旅なので荷物をさっさと預け
10:50の出発まですることと言えば
行きつけの
ドイツ行く時もこの辺から出発だな。
2月15日の10:50に出発して
2月15日の7:45にヒューストンに着くってどういう感覚なんだろう?
飛行機で夜寝たと思えばいいのかなと。
最近かなりの寝不足だったし。
機内ではボヘミアンラプソディを見る
なんでこの人バンドに殴り込みに行って
自分はすごいんだってそんな自信があるんだろう?
そしてユジャ・ワンのCDもあったので聞いてみる。
リゲティだ
すごい
といろいろしてましたが12時間あるのでまぁまぁ寝れたかな。
朝ヒューストン空港に着きました。
入国審査は長蛇の列。
1時間以上掛かって次の乗り継ぎ登場口に着いた頃は
そろそろ登場が始まる頃
せっかくだからアメリカのビールでも飲もうかと思いましたが
10ドル以上するのでやめました。
そしてユナイテッド航空のマナグア行きへ。
2月15日の9:46発
何で中南米行きの時刻はこう中途半端なんだろう?
快適に時刻前にドアが閉まり出発。
あっさっき乗ってたANAが日本に帰っていく
とか喜んでいる場合ではなかった。
飛行機の大渋滞が消え、やっと滑走路目前まで来たところで
何故か飛行機に追い越されていく。
何かのトラブルらしく・・・
そして30分後
動き出したと思ったらターミナルに向けて走って行くではないか(汗)
しかし搭乗口には接続せずターミナルの空き地で待つこと1時間
また動き出し、今度はターミナルにくっついてしまった。
いよいよ欠航かと
明日の演奏会どうしようと焦っていたけど
飲み物とスナックを入口に用意したからどうぞって。
12時過ぎに出発予定とのこと。
そしてやっと12:40ころに出発。
3時間飛行機の中で待ったことになる。
そして飛び立ってから3時間弱で
富士山が
しかも噴火している
疲れすぎて幻影を見たかと思いましたが
マナグアのマナグア湖のほとりの火山モモトンボ山だそうです。
飛行機の上から見るとマナグア湖の湖畔に面白そうなスポットが
しかしここも後に虚構だということが分かる。。。
3時間遅れの16時に到着してそのまま演奏会の会場へ。
ホテルに寄っている時間はない。
そしてそのままリハーサルと音響チェック。
翌日の10時半からワークショップで
14時からは演奏なのでここで練習しておくしかない。
300席ほどの会場だがまぁまぁよく響くので
音響は軽く入れてもらって
2時間弱練習。
疲れている割にはまぁまぁ良い練習ができて
ホテルに戻ったのは19時
その後大使館の方達と食事会に行き
牛肉美味しかった。
ホテルに戻って23時
39時間の2月15日は終わったのでした。
これでぐっすり寝て
明日は朝から時差ぼけなし
の
はずが・・・